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「あの男に付いて行く意義なんてない」
「大尉」
「お前はもっと違う形で幸せになれる」
「大尉、何を」
「頼むから渡してくれ、早く」
上司の瞳の色を認めたブラックウェルが口を閉ざした。黒真珠と相違無く美しい虹彩が、抑えきれない感情に蒼く燃えて煌めいていた。
その様相は怒りの様な、悲しみの様な、恐れの様な――とても一言では処理し切れない、あらゆる激情が綯交ぜになって表出していた。
静かに止め処なく結晶が降り注ぐ中。マクレガーは小さな肩を引き寄せ、唐突に相手の身を抱き締めた。
僅かに力んだ身体が、困惑から抵抗も無く抱擁を受けた。
初冬の風が吹き抜け、上着の裾を微かに攫う。
ブラックウェルは茫洋とした雪原の中、直に伝わる体温に見開かれていた目をゆるりと伏せた。
このいつだって温かい、纏う空気や向けられた眼差しが自分にとって、どれ程救いになっていた事か。
目を伏せてからただ、相手の厚意に感謝した。単純にその情愛の念が嬉しくて、もうそれだけで十分だった。
「キース、有り難う」
すらりと伸びた背に、まるで宥める様に白い手が優しく回された。
「ただ言って置きたいのは、あの人には何の非も無くて」
呆然とその言葉を聞く。背中を辿る手が、僅かに震えていた。
「増してや貴方が自分を責める必要なんて、絶対に無い」
部下は凛然と言い放った。
抱き寄せる腕の力が弱まり、マクレガーの双眼が再び相手を映す。
「俺の我儘です、大丈夫」
相好を崩す相手に、もうこれ以上腕を引く術も無かった。
マクレガーの瞳から青い光が形を潜め、絶望にも似た深淵と化した。そっと指先が薄い肩から離れる。最後の足掻きとばかりに、心からの懇望を部下に投げた。
「…一つだけ約束してくれ」
闇が辺りを飲み込みかけていた。
他に何ら雑音の無い静寂の中、2人だけがその場に立ち尽くし、互いの容態を映した。
「いつだって俺がお前の味方だって事を、忘れるな」
ほんの少し、その瞳が揺らいだ。然れど直ぐに常と変わらぬ面持ちで、部下は黙って頷いてみせた。
思えばマクレガーの憂虞は、後に起こる最後の一幕の惨劇を、漠然とした陰りとして予兆していたのかもしれなかった。
根拠も無く、手を離してやりたくない不安に駆られていた。
ただその時は未だ、自分自身も杞憂だと嘲る気持ちが、彼の大半を占めていた。
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