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「後悔は無いんだな」 彼の良く通る声が畳み掛ける。 瞑目して思考の海に沈む。後悔なんてある筈が無い。 これでやっと、どうしようもない葛藤に蹴りがついた。 何も言えず、その癖に諦めも出来ず ただ現状に手を拱き、勝手に悲嘆に暮れて 蓋を開けてみれば結局自分事だけで、 人の優しさに甘える。なんたる、反吐が出るほどの醜さ。 最期にあの人に少しでも恩を返せたならば、もう残した事なんて何も無かった。 言い残した事など、 「本当に?」 メドウズの声が追い掛ける。 …本当に? あの時自分は何か、言い掛けやしなかったか。 せめて一言――伝えようとして吐き出したのは自分の血で、彼にたったそれだけ、言いたい事があったんじゃないのか。 「自分は、…」 気付かぬ間に足元に血溜まりが出来ていた。全身を寒気が覆う。心なしか、周囲の闇が収縮し始めていた。 「…ブラックウェル、お前はいつも奴を見ていたな」 中隊長が溜め息を吐いた。部下は虚を突かれた様な顔で面を上げた。 「飽きもせず毎日毎日くっついて…アイツが何か言う度に仕方なさそうな顔をする癖に、文句を言いながら笑って付き合ってやって。どっちが上官だか分からん事が多かった」 懐かしい光景だった。今ではもう、とても作り出せない空間が、ブラックウェルの頭に愛おしく浮かび上がった。 なんて素晴らしい日々だったのか。 なんて美しい、涙が出るほど胸躍る、とても掛け替え無く大切な、数え切れない程の思い出。 「心底手を焼いたが、お前は良い顔をしていた」 頭を掻いて中隊長は不本意そうに言った後、ふと口端を上げて笑った。 何故か急に様々な物が込み上げて、胸がつっかえた。言いたい事なんて、本当はごまんとあった。

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