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不明瞭な意識で視界が開けた。 次第にゆっくりと焦点が追い付き、目前に灰色の天井が浮かんだ。 徐々に鳥の声が空間を満たし、生温い風が肌を擽る。 少しずつ、部屋の全貌が露わになる。 周囲を囲む医療器具が詳細に、精度を増してはっきりと映る。 消毒液の匂いが鼻腔をつく。 肌寒さは無く、窓から注ぐ日差しは柔らかく、極めて穏やかな空気が流れていた。 眩しくて、目を何度か瞬いた。 指先を、左手を動かそうとして、力を込めたが駄目だった。 脚は、頭は。 端から試したが無理だった。 そもそも思考が働かない。 場所は…一室の様だが、心当たりが無い。 外の景色からして昼時らしく、気候は春を思わせる。 それ以外の記憶が順々に湧き起こり始める。 休暇の取消、森への急行、極寒の中の戦闘、麓街への到達、それから…。 唐突に頭が痛んで、目を細めた。 次いでもう一度右手を動かそうとして―― そこにふと、 あたたかい別の温度を感じて視線を上げた。 綺麗な手が、自身の指先に絡んでいた。 何処か見覚えのあるその大きな手を、吸い寄せられる様に見詰めた。 まさか、そんな。 明瞭だった視界が、再びぼやけて歪んだ。 握り締めるその力が、強くなる。 急速に思い出せなかった記憶が、頭の中に流れ込んで来た。 腹部を襲った痛み、彼の驚愕の表情、 メドウズとの、時間にしては非常に些少なやり取り。 胸が一杯で、とてもその先を見上げる事が出来なかった。 涙が溢れ出る手前、何故かそれよりも早く頬が濡れた。 「マリア」 ずっと聞きたかった声色が名前を呼んで、掴まった右手が引かれた。 ブラックウェルは遂に瞼を上げて、呆然と相手を映し、呼吸を止めた。 只管に、求めた姿が其処にあった。 横たわる自分の傍ら、手を掴んで。 瞬きもせず此方を見詰める、アッカーソンが其処に居た。 「…帰って来てくれたのか」 陽光の中に余りにも美しい、翡翠の瞳からまた1つ、雫が伝ってブラックウェルの頬を濡らした。

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