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泣いていた。 どんな時も揺るがない、絶対の神が。 放心して見据える視線の先、彼は右手をその胸に押し抱いた。 「もう、何処にも行くな」 痛い程の力を受けながら、ブラックウェルはその姿をただ、見詰めた。 不思議そうな瞳で、未だ夢の様な心地で。 けれど胸中ではしっかりと、彼の切望に誓いを立てた。 何処にも行かない。 貴方が、こんな自分を必要としてくれるのであれば。 隣に居て、構わないと言ってくれるのならば。 貴方が呼ばなくても良い様に、もう何処にも行かない。 眼差しを察したのか、アッカーソンは安穏とした表情で部下を見返した。 2人の視線が暫し交わる。 その時背後を仕切っていたカーテンが、出し抜けに引かれた。 驚くブラックウェルの視界に草臥れた風貌の軍医が現れ、一画の外から此方を覗き込んでいた。 「神様は捉まったか」 「ああ」 肯定するアッカーソンの脇を抜け、軍医は目覚めたブラックウェルの首筋から脈を計った。 頻りに目を瞬き、信じられんなどとぼそぼそ呟いている。 彼は早々に手を離すと、カーテンの隙間から大声で看護婦を呼び付けた。 やがて幾つかの足音が、慌てて此方へとやって来る。 「マクレガー大尉が来てたぞ」 軍医は点滴の換えを用意しながら、独特の単調な口調で言った。 「国防軍が降伏文章に署名したらしい。明日の午前をもって停戦、批准式もその日に行うそうだ」 アッカーソンが顔を上げた。 翡翠の瞳に、木漏れ日が差し込んだ。 「…終わったな。帰れるぞ、祖国に」 軍医の口端が吊り上がる。 右手を包み込む手が、僅かに震える。 ブラックウェルは上官を見た。アッカーソンの瞳も、部下を見返していた。 戦争が終わる。 出会いの切っ掛けであり、多くを学び、同時に多くを失くし、そして大切な物を、再認識させられた戦いが。 やがて人が集まり騒がしくなる中、2人は暫し、全てを忘れて佇んだ。 窓の外では長閑な農場で、満面の笑みを浮かべた将校らが歓声を上げ、肩を抱き合っていた。

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