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 勘弁してくれ。  顔色が悪いのは血糖値が芳しくないからで、後ろ暗いことなど何もないのに逃げるわけがない。  何を言っても悪い方にしか取ってもらえないのではと思ったら否定して言い募るのも億劫になった。  レジカウンターに両手をついてだるい体を支えると、正面の織部をじっと見やる。  三白眼。  黒目(虹彩)が小さく、白目の部分が多く見える目の形のことを言うが、織部の場合は黒目の下に白目が広がっている。  こういった目は苦手を通りこして正直嫌いだ。  時折この目をした人間を見かけることがあるが、その目を見ると、昔から背筋に恐怖にも近い嫌悪を感じる。子供のころのトラウマが原因なのは分かっているのだが。  だが、なぜだろう。  忌々しいことに、なぜだかこの男の目には雄々しいものを感じてしまう。  それどころか、じっと息を潜めて遠くから獲物を狙うような、野性的な双眸はともすれば色気さえ感じて、その目の奥の強い光から目を逸らせなくなりそうだ。  この状況下で、こんな男に一ミリでも魅力を感じてしまった自分に無性に腹がたった。  ノーネクタイのボタンを一つ外した半袖の開襟シャツから覗く首や腕は浅黒く日焼けして、厚く筋肉の張った肩や胸は日ごろからよく鍛え抜かれているのが服の上からでも見て取れる。  外来種の血が混じっている一七七センチの由汰よりも、ゆうに頭一個分は高い。  場数を踏んできた刑事の隙の無さと、男の放つ威圧感はカウンター越しでもこうして正面に立たれると、大きな壁を目の当たりにしているようだった。  大げさな例えかもしれないが、体感的にはきっと言い過ぎではないだろう。  強く張った男らしい頬骨にくっきり隆起した鼻梁と大きくて引き締まった厚い唇が、この男の傲慢な征服欲を如実に表しているようだ。  年齢は三十代半ばあたりか後半か。 「そもそもどうして僕なんだ」  なんの根拠があってその少年たちを由汰が囲っていると言っているのか。 「お前だって近頃よく耳にするだろう。その辺のイカれた男が未成年の男子に猥褻な行為をするなんていう話を。最近じゃ珍しい話でもなんでもない」  確かに、つい最近も男性教師が教え子の男子生徒を無理やり自室に連れ込んだなどといったニュースを聴いた気がするが。 だからと言って、 「それとこれと、どういう繋がりがある」 「お前の性的指向が、男相手だということは分かっている」  なるほど、 「……それで?」  顔にゲイだと書いたつもりはなかったが、警察と言うのはどこからでも情報を集めてくるものだ。 隠している訳ではないものの、自分がゲイだと積極的に触れ回っているわけでもない。  今はもう他界していないが、この家の前の主の南三千雄と翻訳家であり輸入雑貨店を近所で営む兼子孝也と母親の再婚相手であるフランス人のジャンは由汰がゲイであることを知っているが、それ以外の人には仮に気づかれていたとしても自分の口から言ってはいないし、母親代わりのような昌子だって知らないのだ。  以前に、時々通っていたその手のBarは置いておいたとしても。  とは言え、警察の見解がその理由からだと言うなら、あまりにも安直過ぎてなんだかがっかりな気分にさせられる。  それに、同性愛者を小馬鹿にしたような、蔑むような含みを、織部が一瞬口許に浮かべたのも気に入らない。  日本でも同性婚がある一定の地区で認められた今となっても、やはり同性愛者に偏見を持つ人はまだまだ多い。  この男のように法に平等な正義の味方の警察の中にあっても、あからさまな軽蔑を浮かべてみせる者もいるくらいなのだ。  性癖ではなく性的指向と言っただけでもまだましか。  言われ慣れてきたことだから、改まって腹を立てるようなことはしないが。 「だからって容疑者扱いするなんて馬鹿げてるだろう。そもそも思っていたとしてもそれを警察が口にしていいのか?」  織部は魅力的な口端を軽く吊り上げて鼻先で笑ってみせた。 「非生産的な人種を認める認めない云々は俺個人の見解であって警察は関係ない」 「なに?」  由汰は思わず綺麗な顔を歪めた。  好き好んでゲイになったわけではない。だからといって自分のセクシャリティを煩わしいと思ったことだってほとんどないのだ。自分がそうだと気づいた時、それなりに戸惑ったり悩んだりはしたが、事実そうなのだから由汰はそれを認めて受け入れた。  長い人生の中で天秤にかけたら、自分自身を一生偽って生きていくよりも楽だと思えたからだ。  子孫を残せないのは確かだが、それは女性であっても残せない人だって中にはいるわけで、決して軽々しく非生産的なんて言っていいものではない。  さらに言えば、この場で個人的見解を述べるなんてこともやめて欲しかった。 「いい加減にしないか、織部。すみませんね、南さん。こいつは少しばかり口が悪いもんで。どうか気にしないで下さい」  気にする気にしない以前に不謹慎な言動をとらないよう前もって躾けておくべきじゃないのか。  と言うか、長谷川の存在を完全に忘れていた。  織部に対して諫めるようなことを言いながらも、そう言う長谷川も随分と長いこと傍観していたではないか。  おおかた織部に焚き付けさせて由汰の反応や出方を観察していたのだろう。 「僕は、後ろ暗いことなんて何一つとしてありませんよ」  極力大人な対応を心掛けたかったが、それでも言葉尻に不機嫌さが滲みでてしまったのか、長谷川が少し困ったような表情を浮かべる。 「我々は別にあなたを犯人だと断定しているわけではないんですよ」  それは驚きだ。織部は断定しているようにしか見えないが。  ふと何かが引っかかった。  自分はこの刑事たちに「南」だと名乗っただろうか――。 「僕の名前も素性も調べた上で、それでも断定しているわけではないと?」 「それはぁ」  バツが悪そうに長谷川が顔を顰める。  やおらやれやれと言いたげに長谷川は大きく息をついた。 「いえね、正直に言いますと実はこの少年たちの足取りがこの店を最後に途絶えてましてね。それを知るにあたって事前にこの店について少しだけ調べさせていただいたんですよ」 「店、ね……」 「決して南さんを容疑者だと断定したわけではないんです」  なるほど。あくまでも、彼らがこの店を最後に行方を絶ったからと言いたいらしい。 「説明してもらっても?」  長谷川は仕方ないと言いたげにしぶしぶ説明を始めた。  少年たちの名前は光音(ライト)・エメリーと堀北蒼流(ほりきたそうる)と言うらしく、都内のインターナショナルスクールに通う十五歳の中学生だ。  キラキラネームと言うのを三十一歳の由汰でも聞き知ってはいるが、こう目の当たりにすると彼らが初老を迎えた頃のことを思って同情しそうになるのは自分だけだろうか。  光音はあきらかにハーフといった顔立ちで色素の薄いブラウンの髪にブルーのグラデーションの入った薄グリーンの目をしている。   一方の蒼流と言えば黒髪に大きな黒い目をして一目見て日本人だと判る。  ただ、今の子は顎が細くて目鼻立ちもはっきりしている上に、肌も白いので日本人離れした雰囲気はあった。  どちらも綺麗とカテゴリーされるであろう少年たちだ。だとしても、変態野郎に攫われてどこかに囲われていると推測するのは、あまりにも短絡的で飛躍しすぎだろう。  それに、由汰はゲイであってもロリコン趣味はない。  彼らが行方不明になったのが五日前の金曜日。  学校を出てから都内のファストフード店で夕食をとり、その後、神保町にあるこの書店『(こみち)』で見かけたと言う目撃証言を最後に足取りが分からないのだと言う。  受験を控えた思春期真っ只中の少年たちだけに、家出という線も拭えないのではと由汰は思ったが、五日間も消息不明ともなるとやはり犯罪に巻き込まれた可能性もでてくるのだろうかと思いなおす。  神保町の古書街は場所によっては道も狭く古い建物も多いため防犯カメラもまばらだ。  まして『径』は古書街が広がる界隈からも駅前の神田すずらん通り商店街からも少し外れた古いオフィスビル群の細い路地に面している。 「ご存じないかもしれませんがね。ほんの僅かですが、斜め迎えのビルの防犯カメラに、この店の入口の足元辺りだけがほんの少しだけ映り込んでいるんですよ。その足取りから少年たちがここに入ったのは間違いないんですが、出て来るところが映ってなくてですね……」  と、そこで長谷川は言葉を濁した。  入って行った映像はあるのに出て行った映像がないなんてことはあり得ない。  事実、この家のどこにも彼らはいないし、由汰が彼らに何かをしたなんてこともないのだ。  なるほど。出て行く映像が無かったから、織部も長谷川も由汰が彼らに何かをしたと疑ったのか。  だとしても、そこに性的指向云々を持ち出してくるのはやはり間違っている。  再びレジカウンターに並べられた二人の写真を交合に見やりながら、無意識に指で唇をいじった。  ふと、その様子を織部にじっと上から見られていることに気がついて、なぜだか慌てて指をカウンターに戻す。 「だとしても、五日前って言うわりには話を聞きに来るには遅くないですか」  ふと疑問に思って長谷川に問う。 「実は失踪届が出されたのが今朝だったもので、そのために初動捜査が遅れてしまいましてね……」  と言いながら、長谷川が意味深な視線を織部に投げる。  二人のやり取りがどこか気になったが、まあいいかと流した。  近頃の親というのは子供にさほど関心がないのだろうか、五日間もたってから失踪届を出すなど常識から外れているようにも思えるのだが。と、考えてからふと自分の母親のことを思い出して、いやそうでもないかと頭の中で苦笑った。

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