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 そういう親はきっと世の中にごまんといるのだ。 「ですから、ここで何か彼らの手がかりがつかめればと思ったんですが。お分かりいただけましたか?」  渋々とは言え、きちんと説明してくれた長谷川にいつまでも臍を曲げているわけにはいかないだろう。  納得できたかと言われれば到底できないが、事情は理解できた。  質問の続きをしたいと言う長谷川に、由汰も気を取り直して頷く。  けれど、できれば手短にお願いしたい。とまでは、なかなか言い出せなかった。  長谷川はポケットからメモ用の小さな手帳を取り出した。 「その日、二人に何か変わった様子はありませんでしたか?」 「そこまで、注意深く見ていたわけではないですから」 「喧嘩をしていたとか、緊張していたとか何でもいんですが」  手帳から視線を上げる長谷川に、由汰は思案顔で首を傾けた。 「それは無いと思いますよ。強いて言うなら二人ともなんだか凄く楽しそうでした」 「楽しそう?」  長谷川の目に期待の色が浮かぶ。 「それは、尋常じゃなく興奮していたと言うことですか?」 「え? いえ、そこまででは。そう言う意味じゃなくて」  安に楽しそうだったなんて言った自分の言葉を少し後悔する。 「時折、奥の書棚辺りから楽しそうな笑い声が聞こえてきただけで……その程度です」  ああそうですか。と、長谷川が少し残念そうに肩を落とすと手帳に何かを書き込んでいく。 「それで、二人は何時ごろここを出ましたか」  由汰は壁に掛かった時計を見やりながら、 「二十時」  即答すると織部の眉尻がこれみよがしにピクリと反応した。 「それなりにしか覚えていないのに、時間だけは随分とはっきり言い切るんだな」  疑いの眼差しを隠そうともしないその三白眼に、気圧されまいと負けじと睨み返しながら、 「うちはご存知の通り二十時で店仕舞いなんでね。ついでに言うと今はもう既に二十時を過ぎているから営業時間外というわけになるけど」  と、多少の嫌味を入れながら、 「彼らは閉店ぎりぎりまでいたから、まだいるようなら改めてまた来直してくれって、声をかけようか悩んでいた時だったから、その辺はよく覚えてるんだよ」 「ほう」  力説させたわりに受け応えはあっけない。 「で? お前はそいつらがそこの大戸口から出て行くのをその目できちんと見たわけか」 「え……」  そう訊かれて、思わず言葉に詰まった。そう言われてみると、あの日、自分は彼らが出て行く後姿を見ただろうか。 「そいつらに出直せと言うつもりで、その時お前はどこで何をしていた?」  射るような眼差しで、三白眼がどうなんだと問うてくる。  由汰は思い出そうと無意識に唇を指でいじりながら、先週の金曜日の夜の記憶を追った。  なぜ彼らが帰ったと思ったのか。  ここの大戸口は開閉にガラガラと大きな音を立てるから直ぐに人の出入りがあれば分かる。  けれど、その音すら自分は聞いただろうか……。  あの日は、確か週に一回の染物教室の日で。  二十時半までには生徒さんが来るから、閉店時間を気にしながら染物の準備をしておかなければと思って…… 「……そうだ。染物教室の準備をしようとそこの小土間に入って」  由汰は書店と木製の引き戸だけで区切られた土間続きの隣の部屋を指さした。 「あの部屋で週一回の染物教室の準備をしていて、出てきた時にはもう姿が無かったからてっきり帰ったものだと……」  思ってしまったのだ。  まさか本当にこの家の中に――?  動揺が顔に表れてしまったのか、それを見て織部が目を細める。 「この戸口以外で外に出られる場所は?」 「ここ以外で? ……庭から裏道に出れるけど」  けれど、その為には居住区としている部屋を通り抜けなければならない。 「窓のカギは? 庭に通じる窓のカギだ。開いてたのか閉まってたのか」 「あ、開いてた。っというか、暑いとよく窓を開けっぱなしにしてるから」  日中暑いと居住区の方の窓は開けっぱなしにしていることが多く、夕方には閉めようと思っていてつい仕事をしていると忘れてしまうことがよくあるのだ。  だから開いててもなんら不思議には思わない。 「ついでに訊くが、昨日の夜から今朝六時にかけてどこで何をしていた」 「……昨日の? なぜ昨日のことを? 失踪は五日前って」 「すみませんが、お答え願えませんかね、南さん。みなさんに訊いて回っていることなので、型通りの質問だと思ってください」  長谷川が宥めるような口調で苦笑してみせる。  うまいこと丸め込まれた感が否めなかったが、このやり取りもそろそろ心底終わらせたかったし、さっきよりも更に重くなった体を感じて、とうとうあれこれ抵抗するのを諦めた。 「昨日は店が定休日で、午前中に日用品の買い出しに出かけて、午後に少し書店の事務仕事を片付けた後はずっと奥の部屋で、居住区の方のですが、そこで染作業をしていました」 「染作業、ですか?」 「友禅ですよ。たいしたものじゃないですが、時折注文を受けることがあって染めてるんです」 「ほほう、友禅とは、良いご趣味をお持ちで。それから?」 「それから、日付が変わったころに寝て今朝は七時に起きました。いつものルーティンです。ついでに言っておきますけど、僕は独り身だしご覧の通りこの家には僕しかいませんから僕のアリバイを証明できる人間は誰もいませんよ」  後から訊かれるのも面倒なので先に言っておく。 「不信な人物を見かけたとかはありませんか?」 「いいえ」 「そうですか。いやぁ、とても参考になりましたよ、南さん。失礼な質問ばかりですみませんでしたね。ありがとうございます」  長谷川は由汰の機嫌を取りなすように半音高めの声で目許に笑皺を刻んだ。  由汰も辛うじて口許に笑顔を作って応える。 「それにしても!」 と、今度は突然愉快そうな口ぶりで、 「南さんは本当にお綺麗な目をしているんですね!」 「え」 「いや、書店に入った時はちょっと面喰いましたよ。一瞬精巧にできた人形が立っているのかと思ったくらい驚きました。いるんですねぇ、ここまで澄んだグリーンの瞳の方って。あほら、だいたい欧米の方でも何色か混ざったような――ああ、そうそうグラデーションのように色味が重なってるでしょ? ですが南さんの目は瞳孔の真っ黒い中心を囲むようにグリーン一色で。ずっと見てると不思議な気分になりますよ。まさにガラス玉のようだ」 「それは……ええ、まあよく言われますよ」  急に何を言い出したかと思えば、長谷川はどうもずっと由汰の目の色が気になって仕方なかったようだ。  何とも言えず、曖昧な笑みを浮かべて返してみるが、なおも興奮は冷めやらぬようで。 「そうでしょうね、そうでしょうね。何というか、その黒髪とのコントラストがまたいっそ引き立てますよね、グリーンを。珍しいって言われませんか」 「……そうですね」  気味悪がられることも多いですが。 「いやぁ、美しい」  そう言われることも確かにある。実際、子供のころはこの容姿のせいで随分と嫌がらせを受けたが、大人になってからは長谷川のような輩の方が多かった。 「グリーン一色の目なんて初めて見ますよ。失礼ですが――」  人の外見をあれこれ評している時点で失礼だと思うのだが。 「南さんはどちらのハーフでいらっしゃるんですか」  グリーンの目がガラス玉のようだとか、肌理の細かい生白い肌が蝋人形のようだとか、日本人よりも色素の濃い塗れ羽のような黒髪がまたアンバランスでなお良いだとか、顔が小さいだとか。 さんざん言われ慣れてきたセリフたちに加えて、またも訊かれ慣れた質問に内心げんなりしながらなんとか口許に笑顔を作る。 「父がフィンランド人なんですよ。母は日本人で」  さらに、訊かれる前に付け足してやる。 「ついでに言うと、僕は日本から出たことがないので日本語しか話せませんけど」  ほほう、と満足気に感嘆の溜息を吐く。  どうでもいいが、用が済んだのであれば早く帰って欲しいのだが。  内心で大きな溜息をつきながらついと横の織部に視線を向けると、甘さも何も削ぎ落とされたような苦み走った男は、長谷川とはうって変わって、腕組みをしたまままるで関心なんて無いかのようにガラス戸の向こうの通りに視線を投げている。  織部みたいな男は、他人の外見などにあれこれ興味を持つなんてことはないのだろう。  せいぜい関心を抱くのは己のアイデンティティと仕事と出世と女と金くらいに違いない。 「では南さん、我々はこれで失礼しますが、先ほどおっしゃってた違和感がなんなのか、思い出したらこちらに連絡いただけますか?」  と、スラックスのポケットから名刺ケースを取り出してその中の一枚をぺらっと取ってよこした。  ついでと言わんばかりに織部もカウンターに名刺を置く。 「わかりました。何か気づいたら連絡します」 「我々も、また何かありましたら連絡させていただきますので」  分りました、と答えながらこれでようやく帰ってくれると胸を撫で下ろした。  秒刻みでどんどんどんどん体のだるさが増していく中、カウンターで体を支えているのにもそろそろ限界が近い。  ――なのに、 「そうだ。ちなみに彼らはどの本棚あたりを見ていました? よかったら最後に少しだけ店内を拝見してもよろしいですかね」  どうやら招かれざる客は、悲しいかなまだ帰ってはくれないらしい。  長谷川の余計な一言に心のなかで舌打ちしながらも、それをおくびに出すことなく由汰は「いいですよ。狭い店内ですが好きなだけ見て行ってください」と、半ば投げやりに答えた。  どうにかもうしばらく気合でやりきるしかなさそうだ。

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