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 見かけに寄らず身なりに気を遣う男なのか、織部は体格のわりに漂う空気には清潔感があり、あまり野暮ったさを感じさせなかった。  白い半袖の開襟シャツが、汗と一日の労働で少しくたびれている。  鼻梁の高い精悍な横顔に、僅かに疲れが滲んでいるように見えた。 「ねえ、検証結果って教えてもらえないのかな」 「どうしてだ」  店内に顔を向けたまま目線だけをよこしてくる織部に、 「だって気になるだろう。彼らが本当に裏庭から出て行ったのか。性分でね、駄目なんだ、そう言うのはっきりさせないと。気になって家の中にいても落ち着けない」  少し拗ねたような言い方になってしまった由汰を、店内に視線を向けたまま、形のいい口端に笑みを浮かべただけで受け流す。 「そう言えば、今朝NKビルの警備室に行ってきたよ」 「なぜだ」  織部から視線を逸らしてちゃぶ台に頬杖をつく。 「自分の目で確認すれば少しは気持ちも落ち着くかと思ったからさ。無駄骨だったけどね」  そこまで言って「そうだ!」と頬杖をついたまま織部に視線を戻す。 「テープチェンジのこと知ってる? 夜の八時と朝の八時の二回」 「それが?」  グラスのお茶を一気に飲み干した織部が目を眇める。 「あの日も夜の八時にテープチェンジをしたんだとしたら、彼らはもしかしてそのほんの僅かな隙に、この店を正面から出て行ったってことはない? 警備員さんが交換に一分くらいかかるって言ってたけど……」 「やめとけ。素人がおあれこれ探りをいれるもんじゃない」  そう言って鼻息で一蹴するが、織部の口調はさっきより硬く目は笑っていなかった。むしろ由汰を諫めるように睨みをきかせてくる。  そんな風に睨まれれば大概の人間はすくみあがって黙ってしまうだろう。  けれど、その野性的な双眸が悔しいかな由汰には至極魅力的に見えてしまう。 「前後の防犯カメラを照らし合わせて確認しても、正面から奴らが出て行ったとは考えにくい。そんなに一人でいるのが嫌なら恋人でもなんでも呼べばいいだろう?」 「あいにく、恋人なんてもんはいなくてね。それに……」 「それになんだ? 恋人はいなくてもヤル相手くらいはいるんだろう?」 「いるわけないだろう。下品な言い方はやめてくれ」 「とにかく興味本位であれこれ調べて回るのはやめておけ。警察の邪魔になるだけだ。それともあれか? 自分は犯人じゃないってアピールのつもりか?」  皮肉めいた織部の言葉に、馬鹿にされたと感じて思わずムッとする。 「お前は知らないだろうが、裏庭に面した通りには驚くほど防犯カメラがない。しかも、その上抜け道とあって車の出入りも多い。奴らが仮に裏庭から抜けて誰かの車に乗り込んだとしても足どりを追うのは難しい」  空になったグラスを片手で弄びながらおもむろに説明を始める。 「おそらく、犯人は通りに防犯カメラがない事を知っている。この店のセキュリティの甘さもな」 「ってことは、犯人はこの店に出入りしていた可能性があるってことか」 「まあ……そう考えるのが普通だが」  そこで一旦言葉を切ると、靴を脱いで昨夜同様、無遠慮に上がり込んでくる。  織部の自由な行動に、あれこれ突っ込む気も失せていた。  ちゃぶ台にグラスを置くと、天井に手を伸ばして電気の紐を引っ張る。 「お前自身が奴らを裏庭からどこかへ連れ出したって線もまだ拭えない」  カチャカチャと何度か紐を引っ張る。 「僕にはあの夜のアリバイがある」 「あぁ?」  紐を掴みながら目線だけ下げる織部が、再び紐をカチャカチャしながら、 「ああ、そうだな。染物教室の生徒からも裏は取れている。だが……なんなんだこれは」  とうとう紐を放り捨てて眉をしかめた。 「切れてんのか?」 「だが……なんだよ」  織部はため息交じりにその場に胡坐をかくと周囲に視線を巡らせながら、 「お前が奴らを裏庭から逃がす手助けをした共犯って可能性もあるし、教室の終わった二十一時半以降のお前のアリバイはないってことだ」  それについて証明する手立ては残念ながらない。一人暮らしなのだからアリバイを証言してくれる人がいなくて当然だろう。  こういう時のために、各部屋にカメラという名のセフレでも住まわせておくべきだったなと心の中だけで皮肉を零した。 「おい、いつから切れてる」 「なにが?」 「電球だよ」 「ああ、昨日の夜かな」 「なんだよ、一日経ってんのに換えてないのか。替えは?」  作業場だけの明かりでは不服なのか、点かない電気にご執心の織部をおいて、空になった二つのグラスを洗い場へと持っていく。  そのまま水を出してグラスを洗い始めた。 「替えなら、多分、中二階にあるはずだけど……」  怖くて未だに見に行けていないとは到底言えず、 「急いで換える必要もないし、日中は忙しかったから」  とっさの言い訳も思いつかずどうも歯切れが悪くなってしまう。  背後で織部が立ちあがる気配がして振り返った。 「なに」 「ただの平屋だと思っていたら、中二階なんて洒落た部屋があるのか? どこだ」  手拭いで手を拭いて、こっちだと縁側に案内する。  相変わらず殺風景で頼りなく街灯に照らされているだけの薄暗い庭を横に、灯りのない暗い縁側の奥を指さした。 「あそこ。あの梯子から上に行けるんだ」 「ほう」  由汰よりも少し前に立った織部が興味あり気に頷く。  相変わらず何か恐ろしいものでも燻っているように、四角く縁取られた暗く湿った梯子の上は由汰の背筋を冷えさせる。  知らず、恐怖心から腕を擦っていた由汰を、きりりとした両眉をくいっと上げて不思議そうに見下ろしてきた織部が、何かを察したようにゆっくりと庭に目をやると、やおら肩を揺らしながら押し殺すような声で笑いだした。 慌てて眉を顰める。  由汰を振り返った思いがけず屈託なく笑う織部の顔に、一瞬見入ってしまったことを悟られまいとして。 「お前、怖いんだろう」  ニタリ顔で図星をさされて言い返せなくなる。  両腕を擦りながら大仰に大きな溜息を吐いてみせてから、 「彼らがもしもこの家の中で身を隠すとしたら中二階じゃないかって。昨日の夜、そう思い始めたら急に怖気づいて上がれなくなった」  いい大人がと馬鹿にされるのを覚悟して、正直に吐露すると、 「まあ、ちょうどシーズンだしな」  と、あっさりと流されて少し拍子抜けする。うん、と中途半端な相槌を打ちながら、 「まあそう言うわけだから、検証結果を教えてくれたら取りにでも行くさ」  明日買いに行ってもいいし、と踵を返して縁側を戻り始めた時、 「俺が見て来てやるよ」  意外な申し出に振り返ると、既に織部は梯子の下だ。 「灯りはどこなんだ?」 「懐中電灯しかない」  なら持って来い、と真っ暗な中二階を見上げながら手の平だけを伸ばしてよこす。 「いいのか? 別にそこまでしてくれなくても」 「いんだよ。奴らがいないかも確認してきてやる。ついでだ。早くしろ」  急かされて、正直ありがたい申し出だと思いながら、由汰は手のひらサイズの懐中電灯を織部に手渡す。柄の先についた紐を筋張った指先に引っ掛けると、軽快な身のこなしですいすいと梯子を上っていく。  それを落ち着かない気持ちで中二階に消える織部の姿を黙って見送って、昨日みたいに野良猫が庭をうろついてないか警戒しながらそわそわする腕を擦った。  ほどなくして降りてきた織部の手には替えの電球の箱が握られていた。  やっぱり買い置きがあったのだ。どこかホッとして肩の力が抜ける。  居間に戻る過程で箱を手渡されて素直に感謝の意を述べた。 「踊って喜べ。上には人っ子一人いなかったぞ」  と、揶揄いながら「電球は自分で換えられるな?」と確認を入れてくる。  織部は本当にただのついでだったのか、電球を取って来てくれただけで上がり端の戸に手をつくと、拍子抜けするほどあっさりと靴を履き始めた。  三千雄が亡くなってから、こんな遅い時間に誰かが一緒に家に居るなんてことがずっとなかっただけに、どことなく残念な気持ちがよぎる。  織部相手になぜそう思うのか判然としないが、誰かといてホッとできたのは久々だ。  昨日の織部は随分と威圧的だったが、今日の織部は少し身近に感じて突然の来訪だったとはいえ妙に馴染んでいた。 「もう帰るのか?」 「ああ。なんだ、他に何かあったか」 「いや……ないけど」 「安心しろ。この家の中に奴らはいない」 「なあ、気になってたんだけど、どうしてそう言い切れるんだ?」  何気なく訊いた言葉に織部の動きが一瞬止まる。  不思議に思って肩越しに覗き込む由汰を横目でじっと見やってから、何か言いたげに一度だけ口を開きかけて、けれどそのままふいっと無言で視線をそらす。  すくっと立ち上がって歩き出す織部に、 「ま、待って!」  まだ聞きたいことがあるのにと、慌てて由汰も靴を履いて暗い店内を出口へと向かって消えかける織部の背中を追いかけた。 「待ってよ。なあ、その……一つ訊いてもいいかな」 「なんだ」 「ゲ、ゲイって、社会的に不利だと織部さんは思う?」 「……なに?」  唐突過ぎる質問だとは分かっていたが、タイミングを逃した結果がこうなってしまったのだから仕方ない

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