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Side T ※

Side T  眠る重恋くんに薄手のタオルケットを掛けて、頬に触れてみてからすべすべのチョコレート色の肌にキスした。唇がピンク色で、吸ってみたくなる。  重恋くんに言えてないことがいっぱいある。重恋くんのために、じゃなくて全部自分のために僕は言えないままでいるんだ。失いたくない。でも失うしかないんだと思う。逃げられないルートにいる。逃げてもよかったんだけど、多分そのルートもそのルートで厳しい気がするから。僕が余計なことしないまま鷲宮先輩に重恋くんを任せておけばよかったんだ、って思うくせにもう戻れない。  窓の外が暗くなって庭に明かりが灯ってる。変な時間に寝てしまった。こういうの、母さんは許さなかったけど今となっては僕のこと正直どうでもいいんだろうな。もう興味ないでしょ多分。重恋くん起きた頃、お腹減ってるかな。冷蔵庫に多分生卵があったのは見た。多分昨日くらいに炊いたご飯も。どうしよう、重恋くん来てるし炊くか。他は分からないや。とりあえずもうほぼ帰って来ない兄の着替え借りようか。僕のサイズでも合いそうだけど、僕のでいいか。僕のだけど少し大きいサイズの着替えを重恋くんが寝ている枕元に置いて、僕はキッチンに向かう。意味もなくリビングの、無駄に大きいテレビを点ける。地球環境だエコだなんだと学校で習った。いちいち計算していくとエコ活動のほうがお金かかるってとんだエゴだよね。遠回しな全人類心中活動だよ。これがいつもの習慣。静かで暗いのは毎日同じで、いつもと違うのは、今夜は1人じゃないってこと。それで2人でひとつになった。セックスって何のためにするんだろうね。肉体的快楽のため?子作りのため?それなら無理って分かっていてどうしてセックスした?相手との愛の確認?言葉だけじゃ不安だから?相手の身体を支配して手に入れた気になった?僕はなんで重恋くんとセックスしたの。一緒に、お互いの身体で快感を得ることにイミがある?深く考えることじゃないのかな。お互い気持ちいいからで済めばそれでいいの?だから番(つがい)じゃない相手ともセックスできる?  何でも難しく考えるのは良くない。僕のダメなところ。全てに中身がないとダメみたいに思えてしまうから。全て理屈で解決して納得しないと。いつもと同じだ。くだらない思考回路も、静寂の中で忙しないテレビの音も。習慣化された無意識に集中していつの間にかまな板の上で半分になった長ネギを切りすぎて、指まで切ろうとしていた。もうひとりの自分が勝手に色々やってくれてるみたいに、思考が独り歩きして意識が伴わない。冷蔵庫を開けた記憶はあるのに、それを意識的にやった記憶はなくて自分が何を作ろうとしていたのかも分からず冷蔵庫の中を確認する。冷凍されたご飯と生卵、なめこ、納豆、牛乳、その他。米炊かなきゃと思い出せば、本当に無意識に米を研いですでに炊飯器の電源を入れていたらしい。流しに白く濁った水が残っている。無洗米でも洗ってしまう、僕の癖。僕の習慣。いつもと同じだ。慣れた日常。出前取りなさいだの何だのと代金を置いて母さんは家を出て行く。ここって誰のための家なの。僕?姉貴?帰って来ない兄貴たち?出前のチラシは高校生男子の晩飯というには少し値が張っていることも、僕は知ってるんだよ、母さん。重恋くんは僕の料理より、こっちの方がいいのかな。知ってるよ、日常で僕の家での“普通”が世間と同じラインじゃないこと。飢えを知らない、寒さを知らない。感謝すべきだ、働き者の両親に。家にある食材を見ながらどうしようか考える。どうしようか?何を?晩飯の献立。長ネギを切りすぎた。友人来てるし出前でいい?でも時間帯的にそれは無理。それが選択肢を切り捨ててくれたからありがたくもある。僕は本当は何も考えたくないんだ、何もかも。何も考えたくない。重恋くんのことも、染サンのことも、僕自身のこれからのことも。  冷生?って不安そうな声が聞こえてやっと僕はひとりの世界から抜け出せた。パンツと皺の寄った制服のシャツを羽織った姿に、ドキっとしたけど、僕の置いた着替えに気付かなかったのだろうか。 「枕元に着替えあるから、それ、着たら」  水を入れた鍋の下のIHの電源を切って、重恋くんの方を向いた。それともシャワー浴びる?って訊く前に重恋くんが歩み寄ってきて僕を後ろから抱き締めてきて、本当にどうしたんだろう。 「風邪、引くよ?」  まな板の上の長ネギを見つめる。半分は明日納豆に入れて、重恋くん納豆大丈夫かなとか、なめこの味噌汁作るけど重恋くん嫌いじゃないかな、とか考えてた。 「嫌われたかと、思って」  重恋くんは僕より少し大きいから、息が耳に掛かる。嫌われたかと思って?むしろそれは僕が思うこと。流されたのも流させたのも僕。重恋くんは悪くない。 「どうして僕とセックスしたの」  誘ったのは僕だ。何を言ってるんだろう。何を言わせたいんだろう。 「…やっぱり、気持ち悪かった?ごめ、ん」 「責めてるワケじゃ、ないんだ。妙な期待もしてない。ただ重恋くんの答えが知りたい。…僕には、分からないから」  抱き締めていた僕を放してしまう。重恋くんの匂いがした。またあの行為を思い出して、顔が熱くなる。本当にあれは重恋くんで、僕だったのかな。 「こうでしかおれは冷生に返せないから…って言ったら、思い上がりだけど…」  鷲宮先輩にそう教わったの?身体で何か返せるって思ってる?いや、抱かせろと言ったのは僕の方だし、その前から僕は重恋くんにそういう意味で触れてただろ。 「返そうなんて思わないで。僕が勝手にやってるだけだから。それとも、…僕とのこと、清算したいとか?」  自分の中に浮かんだ疑問が急にリアルに感じられて、俯いた重恋くんの両手を取った。 「おれが、冷生に甘えてるばっかなのが、イヤなんだ。友達になるように頑張るって言ってくれたけど、いつかおれが、冷生におんぶにだっこみたいになるの」  重恋くんの手が震えてる。重恋くんの今の気持ち、全然分からないよ。そんなこと、言うなよ。君はきっと僕を見限る。期待させないで。落胆は怖いんだ。 「じゃあ、重恋くんが僕から借りを感じるたびに、重恋くんは僕に身体、差し出すの?」  努めて柔らかく。怒ってるわけじゃないけど、きっと僕は言葉を選べないんだろう。 「冷生がそれでいいなら…迷惑かもしれないけど、いつか嫌がられちゃうかもしれないけど、おれは冷生の傍にいたい」  失恋の後釜?重恋くん、何考えてるの。 「冷生に、好きな人できたら、おれから―」  言わないで。そんな未来の話。重恋くんの唇に人差し指を立てる。それを心配してるの?どうしてさ。むしろ離れるのは君からなんだよ。僕は未来より今を取った。 「手、ついて」  「、んっ」  シンクに両手をついて腰を突き出す重恋くんの後ろの窄まりに指を入れる。近くにあったオリーブオイルを塗り込んだ。キッチンで何してるんだろうって思いもあるけど、今は重恋くんを食べたいって方が上回ってて多分罪悪感とか忘れちゃうんだろうな、すぐに。じゃあ僕からは離れないから、もう一回抱かせてよ。そう言ったら照れながらもまた重恋くんはおれに身体を差し出した。いいの?こんなんで。僕ってこんな最低な男だった?自分が見下した男に自分が成っていくんだね。身体でしか繋がれないんだ。仕方ないよね、恋愛感情も劣情も持ってるんだから。何が友達だ。だって多分、重恋くんが僕に求めてるのはセックスフレンドじゃないでしょ。僕だって重恋くんとセックスだけの関係は嫌だよ。嫌だけど。 「この辺だっけ?」  オリーブオイルを塗り込めながら重恋くんの内部を撫でていく。なぞって、抉って、突いていく。  調理場は神聖な場所。昔見たシェフのドラマの台詞にあった。実際僕もそう思った。そんなところで何してるんだろ。 「ん、っあ、そこ、だめな、んっ」  重恋んくんは綺麗だから、大丈夫。ここが神聖な場所でも、神聖な場所じゃなくても。ここでいっぱい貝とか魚とか殺したんだから。兄貴も姉貴も母さんも父さんも嫌がるし家政婦にやらせろっていうけど、僕は嫌だった。 「重恋くん」  項を舐めると重恋くんは肩を竦める。かわいい。重恋くんはやっぱり綺麗で、僕はやっぱ汚いのかな、って思う。制服の白いシャツが天使の羽みたいに見えちゃう僕はそうとうに末期か、ただ単に頭がおかしくなってるか。でもここは神聖な場所だから天使がいたっておかしくない。 「れぃ、お」  冷たく生きる。なんでそんな名前付けたの父さん、母さん。名付けたのは祖父か。顔覚えてないんだよね、僕が生まれてすぐに死んだよ。まぁ歳が歳だったみたいだし。 「れ…お…」  もっと呼んでよ。僕の名前。大っ嫌いな僕の名前。冷たく生きる。僕は冷たく生きるんだ。きっと、ずっと。名前は初めてもらう親からのプレゼントなのよ、前に近所のおばさんがそう言った。本当かな?生まれて初めてかけられる呪いじゃない?親のエゴで記号だよ。 「重恋、くん」  えれんくん。えれん、えれん。えれん。綺麗に響く。ずっと呼んでたい。僕は重恋くんをずっと、これから、僕が冷生なんて名前を背負っていくのと同じくらいずっと、呼んでたい。名は体を表すって言葉がずっと嫌いだったよ、重恋くん。僕は冷たいかな。でも君には、君にだけは。 「ま、え、まえ…ッ前、触ってぇっ」  重恋くんの大きな目を覆う睫毛が光ってた。僕はもう片方の手で重恋くんの前に触れる。もうそこそこに形を成していて、触れた瞬間にまた少し質量が増した。 「っは、れぃお…ああッ」  重恋くんの声が僕の名前呼ぶたびにさ、顔を背けたくなるんだ。ただの記号だよ、名前なんか。僕が太郎とかでも、きっと重恋くんはそう呼ぶ。分かってるよ。 「重恋くん」  眉根を寄せて重恋くんは天井を仰ぐ。唇から漏れる吐息と声に僕の触られてもいないソレは重くなってる。中指を奥に尽きた立てて、指を増やす。 「あっん、いい、いい…ああ…」  重恋くん、君は名前の通り、恋を重ねるの?初恋は叶わないんでしょ、染サンが言ってた。失恋した後輩の女の子のこと、そう言ってた。重恋くんに初恋した僕のこと、じゃあ重恋くんは好きになってくれないんだね、仕方ないね。世の中上手く出来てるな。 「ああ…!れいお、れ…」  洗脳だ、洗脳なんだ。恋なんて錯覚なんだ。ふと見た重恋くんの右耳に空いたピアスの穴に身体がカッといきなり熱くなって、自制も効かずに食(は)んでしまう。歯は立ててないけど、唇で挟んで、舌の先でピアス穴のある耳朶を突つく。 「あ、だめ、出るっ…!」  重恋くんが僕の前を触る手に手を重ねたので、僕は手を止める。制止したがってたみたいなのに、僕が手を止めた瞬間に重恋くんは残念そうな声を漏らす。達する直前で動きを止められて、重恋くんの腰は僕の手の筒の中にゆっくり擦り付けている。無意識かな。 「れ、お…?」 「自分で擦ってみて?」  重恋くんが自身のソレを数秒だけ困った目で見つめて、それから僕の掌ごと自分の手で自身を慰め始める。僕の前もまた波紋を描くみたいに熱くなってきて、重恋くんの吐息に鼓膜を震わせられてくらくらする。内部に潜ませた指を小刻みに動かすと重恋くんはびくびく震える。 「はっ、ん、はぁっ、あ、あ、あ、あああッ」  重恋くんのを強く擦る僕の掌。でもそれを動かしてるのは重恋くん。 「出る?」 「う、ん、出、ちゃう…ああああっ」  湿った音がした。手が濡れた感触。僕は止めていた手を動かして、重恋くんが、いやいやって頭を振った。 「きちんと、出そう?」 「う、んっ、あっあ…」  重恋くんの白いのを最後まで絞り取ると、身体から力が抜けてたみたいでシンクを掴んだまま座り込んでしまう。 「シャワー浴びる?先寝てる?僕ご飯作っちゃうけど」  肩で息をしてる重恋くんに目線を合わせるように僕も屈んだ。まだ少し目元が赤くて、キスしたくなった。 「冷生、は…?」 「え、だからご飯作る…」 「そうじゃなく、て」  大きな目が泳ぐ。微かに震えてる手が僕の中心を差していて、お互いに気不味くなって黙り込んでしまった。 「だ、大丈夫だよ。ありがとう。重恋くんもう疲れてるでしょ」  僕は先に立ち上がって、重恋くんに手を差し伸べる。重恋くんは僕の手から目を逸らして、シンクの縁を掴んで立ち上がって、僕に背を向けた。 「いい、よ。冷生、いい、から」  自分でソコを開いて、重恋くんが肩越しに僕を振り返る。汗ばんだ。熱くて、背中に当たるシャツの感触が気持ち悪い。誰かにそうやれって教わったの?脳裏を過る、ヘラヘラ笑う胡散臭い先輩。何かがブチって切れた気がして、テレビの接触不良の時みたいな、ほんとに、ブチって感じで、僕は夢見てるみたいに、重恋くんに突っ込んで、なんかもうよく分からなかった。光景は辿れるのに気持ちが追い付いてなくて、重恋くんの細い腰を掴んで、しなやかで長い脚を上げさせて、奥まで密着して、シンクと僕の間で潰すみたいに、荒々しかったと思う。腰打ち付けまくってた。雄の本能、なのかな。 「れぃお、れ、お、ああ、あああ…あっ!」  汗が額を伝って重恋くんの肌に落ちる。汚い僕が綺麗な重恋くんを汚すんだ。でもきっと君は汚れないんだろうな。 「奥、だめ、奥、いや、あっああっ」  重恋くんの両脇の下に腕を通して密着する。固くなってる胸の先端を指の腹で擦り潰すと重恋くんの後ろが僕のを一気に締め上げて締め上げて、息をするのも忘れる。ぴくぴく震える背中が愛しい。 「ッ…」 「胸、だめ、気持ちいっ、ぃやぁ、あッ、れ、ぉ、」  放したくない。このまま一緒になれないかな。濡れた大きな目がどこか、キッチンの奥のリビングよりずっと、目線の先、もっと、リビングの大窓よりずっと奥を見てる。どこ?多分ここじゃない。僕の目に映らないものを重恋くんは見てるんだ。 「れぃ、お、んっ、く、んっ」 「名前、呼ばなくて、いいから」  優しく耳元で囁きながら胸のを指の腹と指の腹の狭間で抓り上げれば背を反らして甘かった声がさらに甘くなった。 「んんっあああ」   身体を少し放して引き締まった腰を両手で固定した。 「後ろ、だけで、また…っご、めっんッ」  泣きそうな声で僕を振り返って助けを求めてるみたいだった。 「一緒に、イこっか」  こくこく必死に頷いてる姿がかわいすぎて、一歩間違ったら抱き締め殺しちゃいそうで怖い。 「中、でい、いからッ…ぁあっ、あっッ、んん」 「…くッ」  発せられた甘い声の意味を理解した途端に僕の下半身がいきなりどくんって脈打って、動きが加速して、自分の身体じゃないみたいだった。嘘でしょ、って思った。まだわずかにあった余裕なんて一気になくなって、絡み付いてくる重恋くんの奥の奥に入り込んで、柔らかい重恋くんに包まれながら達した。 「で、る、出る…んん、あっ」  腰を突き上げるみたいに重恋くんの下半身が痙攣して、重恋くんは前の根本押さえてた。でも先端から白いの出てて、垂れそうになってるのを必死で拭う。もしかして床汚すの気にしてた?汗が首筋や額を通って背筋に落ちていく。 「ご、めん、冷生…」  呼吸を整えて一度座り込もうとしたみたいだけど膝を折ったところですぐに立ち上がる。 「え?」  なんで謝った?むしろ謝るのは僕の方で。でも咄嗟に言ってしまったみたいで、深く訊いちゃいけないみたいで。僕も別に訊くつもりとかない。僕がきちんと上手く躱すべきだった。僕はコップを出して水道の水を汲んで重恋くんに渡す。 「汗、かいたから、飲んだら、お風呂入っちゃおうか。使い方教えるから、待ってて」  空になったコップをシンクに置いて、後をついてくる重恋くんが妙に遅いので振り返ったら内股で歩きづらそうで、そうだ僕、中に出しちゃったんだってのが一気に生々しく感じられた。彼の中に僕がいる。何も実を結ばないまま死んでいく、1億の、もしかしたら僕の子どもになったかもしれない白い液体が。でもそれが、むしろその1億の何にもなれなかった僕のソレが今までのドレよりも意味のあるもののように感じられた。  これがお湯でこれが水で適当に調節して、って説明をして、脱衣所で裸になってまた戻ってくる重恋くんを待つ。まだいるの?って感じに少し恥ずかしそうに目を逸らされた。 「中の、出さないと」 「え、自分でやるよ」  目を丸くされて、あまり突っ込んだことは訊けないけど、重恋くん、自分で掻き出したことあるんだろうか。―あの人とはどういう風にしたんだろう。 「…分かった。でも、ダメそうだったら遠慮なく呼んで」  重恋くんなりに僕を立ててくれるなら僕は重恋くんを立てなきゃだよね。 「重恋くん、なめこの味噌汁とか大丈夫?」  うん好きだよ、って返されて、よかった、って呟いてどこまで作ってたっけ、って記憶を辿りはじめる。 「冷生」  風呂場から出て行こう背を向けたときに呼ばれて、嫌いだった名前が綺麗に風呂場に響く。 「ん?」 「ありがとう」  何に対して?でもきっと、色んなことなんだろう。僕は何か出来たのかな、君に。 「いつもより、美味しく作るから」  重恋くんの顔を見られなかった。君から離れていくんだ、きっと。  

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