10 / 26

第10話

しかし…その一方で…この子の未来を思うと…矛盾する気持ちが生まれる。 全身の大ヤケド、その治療は想像を絶する苦痛を伴う。 ガーゼ交換だけでも堪え難い激痛が… それが全身…火傷の痕が、どの程度まで回復するのか… この後の人生、それを自分の息子が背負って生きていく… 思えば思うほど… 辛くなっていく健次… 決して…心の底からの言葉ではなかったが、健次は痛々しい姿の息子へ囁くように伝える… 「…みのる、辛いな…苦しいね…、…お母さんのところへ…いっても、いいんだよ、頑張らなくても…ごめん…」 涙を堪えながら… そう、医師にあるまじき言葉を… 苦しませたくない一心で… これ以上は…… (……健次、) 命を救うことを…何より大切に考えていた健次。 健次の姿、表情は伺えないけれど、その息子に語りかける言葉…健次の複雑な心境が伝わってくる。 大切な存在を失った…健次… こんな時に…どんな言葉をかけてやればいいのか… 「…っ…、」 カーテンの内側から微かに聞こえてくる、声を殺して泣く彼に… 自分は…いったい何ができるんだ? 一緒に泣いてやるのか…? (違うよな…健次…) 健次が…現場の医師として復帰できるまでには…時間がかかる筈。 でも、いつかここに戻って来る時…いつもの俺で迎えれるように… 健次に…涙なんか見せられない… うつむき加減だった顔を上げ、亜澄は思う。 (…でも…現場で泣いたのは…お互い、はじめてだったよな…健次?) 自分の瞳から零れ落ちる…雫を静かに拭う亜澄。 どんな時でも…歯をくいしばって頑張ってきた。 でも…今は、涙が枯れるまで泣かせてやりたい… そう思いを残して亜澄は、痛い気持ちを振り払うように、現場の医師に戻る。 傍に居ないのは…亜澄なりの優しさ…。 健次も…よくわかっているから。 それから二時間後――。 みのるは、そのまま…わずか5さいという幼さで…永遠の眠りについた。 息子の最期を看取る健次。 一度に愛すべき自分の家族をすべて失った悲しみ…… 健次の心を放心状態にさせる。 あっという間に、通夜が過ぎ…葬式も、終わってしまう。 健次は…最後の最後まで、妻をみることはできなかった。 息子とは違い、死の実感がなさすぎる。 言葉で伝えられただけでは…信じられない… かといって、火傷で痛々しい姿の骸を見る精神力は残っていなかった。 (でも…本当は、妻の死を実感するのが恐かったからだ…) 葬儀が終わった後… 雑然とする会場の脇に人を避けるようにたたずむ健次。 そこへ…静かな口調で声をかけてくる人物が… 「…ケンジ」 「…に、兄さん…」 それは実兄の満だ…。 「…しばらくの間は、現場にたたなくていい。本院に戻って病院経営について学べ…お前もいずれは分院を任されるのだから…」 いつもの冷静な言葉… 「兄さん…僕は、医者として続けていくことは…もう、まして救命医療は…」 地を這うような心情の中、健次はそう答える… 大切な家族の死を見てしまった現場で、働き出すのは色々な想いが巡り辛い… 「…健次、…感情に左右されるな。医者としてのお前の実力は認めている、可能性を閉ざすな…」 決して優しい言葉ではないが…兄に褒められたのは、この時がはじめてだった。 医師として生きる事を諦めさせない為に… 感情を捨ててしまった… 捨てるしかなかった…兄が、僕を不器用に止める。 「…うん、…ありがとう。兄さん…」 視線を上げ、隣に居る兄の顔を見て言う健次… 「……」 言葉を聞いて…無言で、健次の傍を離れようとする満。 そんな満の背へ、静かに声をかける健次… 「…兄さん、……大切な人の死は…本当に…つらい、事だね…」 かつて、記憶を無くすほどの辛い別れを経験している兄へ…想いを重ねて言ってしまう。 「……」 満は…ふっと立ち止まって、健次に視線を送ったあと… やはり無言、無表情で去っていく… 兄さんは…心の底に深い傷をもちながらも、医師として働き続けている… 長男で… 病院の跡取りで… 逃げたくても逃げられない鎖に繋がれているから… その兄が居たから…今まで自由で自分勝手に生きてこれられていたことを… それなのに、今…自分だけ、逃げる訳にはいかない… そう、健次は兄の言葉で医師としての自分を繋ぎとめる。 失った現実の辛さを乗り越えるために…。

ともだちにシェアしよう!