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第10話
しかし…その一方で…この子の未来を思うと…矛盾する気持ちが生まれる。
全身の大ヤケド、その治療は想像を絶する苦痛を伴う。
ガーゼ交換だけでも堪え難い激痛が…
それが全身…火傷の痕が、どの程度まで回復するのか…
この後の人生、それを自分の息子が背負って生きていく…
思えば思うほど…
辛くなっていく健次…
決して…心の底からの言葉ではなかったが、健次は痛々しい姿の息子へ囁くように伝える…
「…みのる、辛いな…苦しいね…、…お母さんのところへ…いっても、いいんだよ、頑張らなくても…ごめん…」
涙を堪えながら…
そう、医師にあるまじき言葉を…
苦しませたくない一心で…
これ以上は……
(……健次、)
命を救うことを…何より大切に考えていた健次。
健次の姿、表情は伺えないけれど、その息子に語りかける言葉…健次の複雑な心境が伝わってくる。
大切な存在を失った…健次…
こんな時に…どんな言葉をかけてやればいいのか…
「…っ…、」
カーテンの内側から微かに聞こえてくる、声を殺して泣く彼に…
自分は…いったい何ができるんだ?
一緒に泣いてやるのか…?
(違うよな…健次…)
健次が…現場の医師として復帰できるまでには…時間がかかる筈。
でも、いつかここに戻って来る時…いつもの俺で迎えれるように…
健次に…涙なんか見せられない…
うつむき加減だった顔を上げ、亜澄は思う。
(…でも…現場で泣いたのは…お互い、はじめてだったよな…健次?)
自分の瞳から零れ落ちる…雫を静かに拭う亜澄。
どんな時でも…歯をくいしばって頑張ってきた。
でも…今は、涙が枯れるまで泣かせてやりたい…
そう思いを残して亜澄は、痛い気持ちを振り払うように、現場の医師に戻る。
傍に居ないのは…亜澄なりの優しさ…。
健次も…よくわかっているから。
それから二時間後――。
みのるは、そのまま…わずか5さいという幼さで…永遠の眠りについた。
息子の最期を看取る健次。
一度に愛すべき自分の家族をすべて失った悲しみ……
健次の心を放心状態にさせる。
あっという間に、通夜が過ぎ…葬式も、終わってしまう。
健次は…最後の最後まで、妻をみることはできなかった。
息子とは違い、死の実感がなさすぎる。
言葉で伝えられただけでは…信じられない…
かといって、火傷で痛々しい姿の骸を見る精神力は残っていなかった。
(でも…本当は、妻の死を実感するのが恐かったからだ…)
葬儀が終わった後…
雑然とする会場の脇に人を避けるようにたたずむ健次。
そこへ…静かな口調で声をかけてくる人物が…
「…ケンジ」
「…に、兄さん…」
それは実兄の満だ…。
「…しばらくの間は、現場にたたなくていい。本院に戻って病院経営について学べ…お前もいずれは分院を任されるのだから…」
いつもの冷静な言葉…
「兄さん…僕は、医者として続けていくことは…もう、まして救命医療は…」
地を這うような心情の中、健次はそう答える…
大切な家族の死を見てしまった現場で、働き出すのは色々な想いが巡り辛い…
「…健次、…感情に左右されるな。医者としてのお前の実力は認めている、可能性を閉ざすな…」
決して優しい言葉ではないが…兄に褒められたのは、この時がはじめてだった。
医師として生きる事を諦めさせない為に…
感情を捨ててしまった…
捨てるしかなかった…兄が、僕を不器用に止める。
「…うん、…ありがとう。兄さん…」
視線を上げ、隣に居る兄の顔を見て言う健次…
「……」
言葉を聞いて…無言で、健次の傍を離れようとする満。
そんな満の背へ、静かに声をかける健次…
「…兄さん、……大切な人の死は…本当に…つらい、事だね…」
かつて、記憶を無くすほどの辛い別れを経験している兄へ…想いを重ねて言ってしまう。
「……」
満は…ふっと立ち止まって、健次に視線を送ったあと…
やはり無言、無表情で去っていく…
兄さんは…心の底に深い傷をもちながらも、医師として働き続けている…
長男で…
病院の跡取りで…
逃げたくても逃げられない鎖に繋がれているから…
その兄が居たから…今まで自由で自分勝手に生きてこれられていたことを…
それなのに、今…自分だけ、逃げる訳にはいかない…
そう、健次は兄の言葉で医師としての自分を繋ぎとめる。
失った現実の辛さを乗り越えるために…。
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