4 / 16

第4話

「いらっしゃいませ」 店の方からユウの声が聞こえるたびに、何故か背筋が伸びる。 ユウが働き始めて一か月経つ。自分以外の人間がすぐそばにいることにようやく慣れてきた。彼が来てから、この店には様々な変化があった。 まず、店内が常に綺麗に掃除されている。そして客を待たせることがなくなった。 彼のおかげか、前よりも注文が増えたような気がする。 僕は時計に目をやった。もう誰も来ない時間帯になる。閉店間際は暇な時間が続くのだ。 「休憩時間にしよう」 僕は立ち上がり、店の方を覗いた。 ユウは客を見送って一息ついていたが、覗いていた僕に気づくとワッと声をあげた。 「驚いた。…ああ、そろそろ休憩?」 「うん。ユウも休んでいいよ」 僕たちは窓辺にある客用のソファーに座る。 この時間はお互い、好きなことをして過ごす。 僕は本を読み、正面に座ったユウはノートを広げている。 「オルトって本読むの好なんだ。羨ましい。俺は文字が苦手だから」 ユウはノートに何度も同じ文字を書きながら言った。ページが黒くなるぐらい敷き詰めて書いている。 「俺は読むのも書くのも下手だから、空いてる時間にこうして練習してる。 …学校にしっかり行くべきだったな」 「そうなんだ。じゃあ僕の本借りてみる?読む練習になると思うよ」 「いいのか?ありがとう」 僕はソファーから離れて、店の奥にあるドアを開けた。そのドアは祖父の部屋に繋がっている。 軋む扉を開け、埃っぽい空気に顔をしかめる。ここ数年滅多に入っておらず、掃除もろくにしていないから当然だ。 利用者がいない部屋は死んだように静かで、暗くなってしまう。 壁を覆うように立つ本棚から、数冊の本を選んだ。どれも昔、僕が子供だった頃に好きだった小説だ。 「これなんかどうかな。読みやすいし、面白いと思うよ」 「ありがとう。今日から読んでみる。 …あの部屋は本の部屋なのか?大きな本棚が見えたけど」 「惜しい。祖父の部屋だったんだ。まあ、今は書庫みたいな感じだけど」 僕の言葉を聞き、ユウはピタッと動きを止めた。 「あ…ごめん。無神経だったよな」 「大丈夫、気にしないで。 これからは自由に出入りしていいよ。本を読んでくれた方が祖父は喜ぶと思うし」 ユウに手渡した文庫本は、古本特有のアーモンドのような香りがする。何度も読み直したせいで、表紙はくたびれている。 ユウは一番上に置かれた本をパラパラとめくった。文章に目を通しているのか、顔は動かない。 「…この人たちは綺麗な言葉を使うんだな。俺とは大違いだ」 「昔の本の登場人物って、丁寧な口調で話すよね。昔はよく真似したなあ」 「オルトは今でも充分綺麗だよ」 ユウは僕の口調を綺麗だと言っている。それを分かっているのに、何故か胸がドキリと跳ねた。

ともだちにシェアしよう!