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第4話
「いらっしゃいませ」
店の方からユウの声が聞こえるたびに、何故か背筋が伸びる。
ユウが働き始めて一か月経つ。自分以外の人間がすぐそばにいることにようやく慣れてきた。彼が来てから、この店には様々な変化があった。
まず、店内が常に綺麗に掃除されている。そして客を待たせることがなくなった。
彼のおかげか、前よりも注文が増えたような気がする。
僕は時計に目をやった。もう誰も来ない時間帯になる。閉店間際は暇な時間が続くのだ。
「休憩時間にしよう」
僕は立ち上がり、店の方を覗いた。
ユウは客を見送って一息ついていたが、覗いていた僕に気づくとワッと声をあげた。
「驚いた。…ああ、そろそろ休憩?」
「うん。ユウも休んでいいよ」
僕たちは窓辺にある客用のソファーに座る。
この時間はお互い、好きなことをして過ごす。
僕は本を読み、正面に座ったユウはノートを広げている。
「オルトって本読むの好なんだ。羨ましい。俺は文字が苦手だから」
ユウはノートに何度も同じ文字を書きながら言った。ページが黒くなるぐらい敷き詰めて書いている。
「俺は読むのも書くのも下手だから、空いてる時間にこうして練習してる。
…学校にしっかり行くべきだったな」
「そうなんだ。じゃあ僕の本借りてみる?読む練習になると思うよ」
「いいのか?ありがとう」
僕はソファーから離れて、店の奥にあるドアを開けた。そのドアは祖父の部屋に繋がっている。
軋む扉を開け、埃っぽい空気に顔をしかめる。ここ数年滅多に入っておらず、掃除もろくにしていないから当然だ。
利用者がいない部屋は死んだように静かで、暗くなってしまう。
壁を覆うように立つ本棚から、数冊の本を選んだ。どれも昔、僕が子供だった頃に好きだった小説だ。
「これなんかどうかな。読みやすいし、面白いと思うよ」
「ありがとう。今日から読んでみる。
…あの部屋は本の部屋なのか?大きな本棚が見えたけど」
「惜しい。祖父の部屋だったんだ。まあ、今は書庫みたいな感じだけど」
僕の言葉を聞き、ユウはピタッと動きを止めた。
「あ…ごめん。無神経だったよな」
「大丈夫、気にしないで。
これからは自由に出入りしていいよ。本を読んでくれた方が祖父は喜ぶと思うし」
ユウに手渡した文庫本は、古本特有のアーモンドのような香りがする。何度も読み直したせいで、表紙はくたびれている。
ユウは一番上に置かれた本をパラパラとめくった。文章に目を通しているのか、顔は動かない。
「…この人たちは綺麗な言葉を使うんだな。俺とは大違いだ」
「昔の本の登場人物って、丁寧な口調で話すよね。昔はよく真似したなあ」
「オルトは今でも充分綺麗だよ」
ユウは僕の口調を綺麗だと言っている。それを分かっているのに、何故か胸がドキリと跳ねた。
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