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第9話
「俺のマスクに何か付いてる?」
ユウの声で、僕の飛んでいた意識は体に戻って来た。
「あ、ごめん。何でもないよ」
いつまでもこんな体勢でいる必要は無い。僕は起き上がり、ユウの腕を引っ張った。
ところが、立とうとしたユウがよろめいた。慌てて彼の体を支える。
「ユウ、大丈夫?」
「いって……いや、平気だ。歩けるから」
ユウは顔を歪めながら言った。右足を引きずるように歩きながら、ドアに向かっている。
「大丈夫じゃないよ。無理に歩かないで」
僕は両手でユウを横から抱きかかえた。腕に思い切り力を込めたが、その必要はなかった。ユウの体は想像していたよりも軽く、易々と持ち上げられたからだ。
「ソファーまで運ぶから。少しだけ我慢してね」
「ごめん。俺が無理に背伸びしなきゃ、こんなことにならなかったのに」
「謝らないでよ。取り敢えず、今はユウが怪我してないか見なきゃ」
僕はユウをソファーに座らせた。そして靴とソックスを脱がせる。
「見るね」と一言断り、ユウのズボンの裾をめくった。
足首に軽く触れると、ユウの足がピクリと動いた。
「熱を持ってる。触ると痛い?」
「強く押さなきゃ平気だ。歩くと痛いかも」
それを聞いた僕は、台所から氷を入れた袋と救急箱を持って来た。
「オルトは応急処置も出来るのか?」
「やったことないよ。本で読んだだけだから、上手くいくか分からない」
箱からテーピングテープを取り出しながら答えた。
「まあ、オルトは手先が器用だから大丈夫だろ」
結果を言うと失敗した。
足首に巻かれたテープは、所々シワとたるみが出来ている。不恰好なミイラ男のようだった。
「見よう見まねじゃ上手く出来なかった。ごめん。やり直そうか」
「さっきよりも痛みが引いた。その必要は無い。ありがとな」
ユウは患部に氷嚢を当てながら、唇をほころばせている。
「家まで送るよ。一人だと歩きづらいよね。ユウのアパートはここから十分くらいだっけ」
「そうだ。今日は何から何までありがとう。俺なんかの為に……」
ユウは申し訳なさそうに礼を言う。
その様子は、初めて会ったあの日を思い出させた。
「これくらい何とも無いから」
ユウの右腕を首にかけた。
「ユウはもっと僕に甘えてもいいんだよ。だから"俺なんか"なんて、悲しい言いかたしないで」
「分かった。…でも、なんでオルトはこんなに優しいんだ?俺はまだ何もしてあげられていないのに」
「そんなことないよ。ユウには数え切れないくらい、たくさんしてもらってるよ」
「本当か?自分じゃ分からないんだな」
「そんなもんだよ」
二人で肩を寄せながら、扉に向かった。いつのまにか、雨は止んでいた。
「僕は幸せだよ」真横にいるユウに聞こえないくらい小さな声で言った。
はっきりと言えなかった。たったそれだけの台詞を、無性に気恥ずかしく感じたからだ。
外の気温は店内より低いはずなのに、耳は熱い。雨上がりのひんやりとした街で、僕の温度だけが高い、そんな感覚に陥る。
歩いて十分の距離を、ゆっくりと確実に歩いた。時々よろけたが、その度に僕たちは顔を見合わせて笑った。
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