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第12話 ミッドナイト・ブルー①

何故そんなに執着してるのだろう。 ゴミ以下の、クソみたいな人生だったのに。 この空気にいつまで経っても馴染めない自分が嫌いだったのに。 生きる為なら何でもした。 こんな自分でもいつか幸せになる権利があると、信じて疑わなかったからだ。 「これあげるから、もう顔を見せないで」 彼女は震える声で呟いた。こちらを見ようとしない。窓の外に、何があるのだろうか。外をずっと凝視している。 目の前に置かれた薄い封筒を、俺は受け取った。 「もう出て行くけど。マジで後悔しないわけ?」 「後悔なんて、毎日してたわよ」 そう言うや否や、女は顔を突っ伏して黙った。 「その後悔って、俺が生まれた時からずっと?」 「……もういいでしょ。金なら渡したじゃない。私の役割はこれで終わり」 「そうか。じゃあな、母さん」 俺は手元にあるバッグと封筒を持ち、ドアを開けた。 この家は、俺が生まれる前から建っているはずなのに思い出が全く詰まっていない。無駄に古いだけの、無価値なあばら家だ。 家が見えなくなるまで一度も振り返らずに、歩き続けた。マスクのレンズに水滴が付いても拭わずに。 俺の人生に大きな出来事があった日は、大体雨が降っていた。 あの日もそうだった。 家を出て一ヶ月後。 薄い封筒に入った金を全て使い切った俺は、繁華街のゴミ置場で寝転がっていた。 見知らぬ土地で一人きり。 学も職もない俺は、こうして野垂れ死ぬのを待つだけだった。 雨に濡れ、黒くなったコンクリートに寝そべっていると自分が砂糖のように溶けてしまえばいいのに、と思う。 ─死にたい奴はこんな物、いらないだろう。 俺は着けていたガスマスクを、ゴミ捨て場に投げ捨てた。 一瞬で、顔が雨粒まみれになる。 肺いっぱいにドス黒い空気が入り込むのを感じた。腹に力を込めて咳き込んでいると、横から「おい」と声をかけられた。 「は?」 「路地裏からうるせえ咳が聞こえてくると思って来たら……。結構良さそうな奴がいるじゃねえか」 「何のことだよ。放っといてくれ。俺は死ぬつもりなんだ」 「汚ねえ空気吸って死ぬってか?悠長だな」 乱暴な口調の男はこちらに歩み寄り、俺の顎を掴んだ。 「離せよ。何のつもりだ」 「お前、腹は減ってないか?金が欲しくてたまらないだろう」 俺はすぐに返事が出来なかった。何故なら男の言う通りだったからだ。俺は生ゴミでもいいから食料が欲しくて、ゴミ捨て場にいるのだ。 「取り引きをしようじゃねえか。そうしたら、お前に今夜の寝る場所と、金をやる」 「まず条件を言え」 俺は男の手を振り払い、ベッタリと顔に張り付いた前髪を避けた。 男はその様子を黙って見ている。何だか気味が悪い。 「オレは今ムシャクシャしてるんだ。こんな日は、誰かを買って憂さ晴らしするのさ。どうだ?たったの一晩だ」 正直言って俺は本気で死ぬつもりは無く、今の現状に困り果てていた。 ちょっと我慢してこの男とヤれば、生き延びられる。そんなに悪い取り引きではないと感じた。 「自分の身体を大切にしろ」だとか「好きな人以外としちゃダメだ」なんて価値観を生憎、俺は持ち合わせていない。 「ああ、乗った。どこでやる?」 俺の返事が意外だったのか、男の動きが一瞬止まった。表情はマスクで見えないが、驚いているのは分かる。 「意外とアッサリ決まったな。……まあいい、あっちの安いホテルで充分だろ。さっさと捨てたマスク拾えよ」 結局、この男とは長い付き合いになる。 俺がベッドの中で「仕事を探している」と言うと、「オレの店で働けばいいじゃねぇか」と答えたからだ。 彼は風俗店を経営してるらしい。それも客と従業員が男の。しかも定期健康診断と有給付きときた。 「働くよ。…でもどうして俺を誘ったんだ?」 「顔採用だ。じゃあ明日までに源氏名、考えとけよ」 「あの男に似てきた」と毎日のように母に殴られた顔が、生まれて初めて役に立った瞬間だった。

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