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第2-3話

 ハッと目覚めると全部夢だった。わけなかった。  目の前に陸夫の顔がある。 「お、起きたな。痛いとこないか?」  優しい声で聞かれ、思わず一郎はうなずいた。ふわりと柔らかく頭を撫でられる。  不法侵入をした自分が悪いことはわかっている。しかし、もとはと言えばこの男が人のツノを勝手に持って行ったことが原因なのだ。謝ってしかるべきはこいつで、おまけにあんな目にあわされて、それなのにそんな声を出すなんて。  ずるい。 「名前なんてえの?」  一郎の髪をすきながら、また優しく撫でる。さっきとは別人のように、柔らかく笑った。 「佐々木一郎」 「ぶは、お前が考えたの?」  ふきだした陸夫の唾が一郎の顔にかかる。一郎は迷惑そうに顔を歪めた。 「……何がおかしいんだ。有名な氏名を合わせたんだ。一般的だろ」 「うひゃひゃ、まあいいんじゃねーの?」 「あんたは」 「兼田陸夫っていうの。りくちゃんって呼んでくれてかまわねえよ」  にひひと笑って陸夫は体を起こした。  やはりチャラいと一郎は思う。 「んで、お前は校舎裏でなにしてたんだ?」 「精気を吸ってた」 「精液を吸う?」  少し違うがやっていることは同じなので一郎は何も言わなかった。 「お前悪魔らしいし、あいつ殺しちゃったってこと?」 「違う。刺激が強すぎて気絶してただけだ」 「さっきのお前みたいに?」  一郎はむっとして口をつぐんだ。  そもそも陸夫はなぜ悪魔とセックスしようと思ったのか。雰囲気からすると誰でもよかったように思えたが、危機感はなかったのだろうか。あんな現場を目撃しておきながら。 「吸うとどうなんの?」  陸生は頭の後ろに手をまわして、髪をまとめながら一郎を見る。 「精液がなくなる」 「え!?」  ばさりと手から髪がこぼれ落ちた。 「ちょ、ちょ、ちょ、まじで!? やばくねえ?」  なぜか笑いながら、陸夫は一郎の背中をばしばしと叩く。 「痛い!」 「ああ、悪い悪い」  陸夫はちっとも悪いとは思っていないであろう適当な謝罪を口にし、ごしごしと叩いていた一郎の背中を擦った。 「なくなるといっても今あるものがなくなるだけで、また生成されるから何も問題はない」 「あ、そうなの? びびったわー。俺ネコじゃなかったら干からびてたのかと思った」 「ネコ?」 「なんでもないよ」  一郎は体を横たえながら、陸夫を見上げた。まだ体がだるくて起き上がれない。陸夫は、服を着ていた時には気がつかなかったが、驚くほど引き締まった体をしていた。見た目にはほっそりしているのに、綺麗にしかるべきところに筋肉がついていて、先程腕を掴まれた時の腕力も半端なかった。一郎はそのせいで、怯えてなにもできなかったのだ。  一郎は弱い。何かあると飛んで逃げる。しかし今は飛べない。どうすることもできなかった。  脇腹にそっと触れてみた。硬い。この体で組み伏せられて、自分になにができようか。 「なにー? もう一回?」  にやにやしながら陸夫が一郎の手を掴んだので、彼は慌てて振り払った。 「違う!」  別にいいのにー、と言いながら、陸夫は一郎の背中を撫でまわした。 「羽出してよ」 「嫌だ」 「じゃあツノ返してやらない」  一郎はがばりと起き上がって、陸夫の肩にしがみついた。 「か、返してくれ! 翼なんていくらでも見せるから」 「じゃあ見せて」  一郎の背中から、ばさりと翼が飛び出した。ふぁさっと、羽が宙を舞う。翼の付け根が気になるようで、陸夫は持ち上げたり引っ張ったりしながらじろじろと観察していた。少しくすぐったい。そして痛い。一郎は身震いをし、陸夫と距離を取ろうとした。しかし彼は離さない。羽に顔をうずめ、匂いを吸われて、一郎はびくりと体をこわばらせた。 「あれ? 感じちゃう?」  にやにやしながら言われるので、一郎は顔を真っ赤にして頭を振った。 「もういいだろ! 返せよ」 「んー?」 「返せよ!」  陸夫は一郎から離れると、にひひと笑った。 「嫌だね」 「そんな……返すって今」 「言ってないけど?」  言ってなかった。  しおしおと翼が背中に消えていく。一郎は涙ぐんでいた。悪魔には涙はないはずなのに。  この涙が一郎の一郎たる所以であった。  悪魔にもいろいろ種族がある。  一郎の種族では、一郎以外全員両性だった。半分欠けたできそこない。周りの悪魔たちと違うところがいくつもある。誰かから産まれたはずなのに、それすら誰かわからない。  疎まれ蔑まれ、近づけば石を投げられる。よこされる視線は動物の死骸でも見るようなもの。食事も与えてもらえず、仕方なく人間界に取りに行く。  そんな生活を繰り返していたある日、言われたのだ。  1000人の人間の精気を吸うことができたならば、女性性が芽生えて皆と同じ姿になれるであろうと。  喜び勇んで彼は地獄を飛び出した。食事を兼ねているのだ。きっとなんとかなるはずだ。  それから5年。馬鹿正直すぎて、一郎は高校を受験するところから始めた。周りに馴染むためだ。しかし全然馴染んでいない。ここでも友達すらいない。大学受験までした。頑張って今468人。だと一郎は思っている。  しかし、そもそも定義があいまいなのだ。先程陸夫に言ったように、彼が人間の精気を吸ったところで、死にはしない。では何をどうカウントして1人というのか。一郎は気づいていない。騙されて追い出されたということに。  しゅんとしてしまった一郎を見て、陸夫は少し笑った。しかしこのままこれを渡すわけにはいかない。 「いいじゃん、飛べなくても」 「嫌にきまってるだろ」  まあそれはそうだ。 「お前返したらどっかいっちゃうだろ」 「どっかいくって……」 「俺に会わないようにするだろ」  間違いなくする。  黙ってしまった一郎を見て、陸夫はふきだしそうになった。なんて正直な奴なんだ。  ぽんと頭に手を乗せると、一郎の顔を覗き込んだ。 「もうちょっと俺のそばにいろよ」  一郎は目を見張った。  陸夫はわざと誤解されるような言い方をした。手放さないようにするためだ。しかし、真意に気づくスキルが一郎にはなかった。  それをそのまま受け取った。  ドスンと彼の言葉が胸に体当たりしてきた。  今まで生きてきて、初めて言われた。  俺のそばにいろだって?  なんてことを言うのだ。  嬉しさが閾値を超えて、何をどうすればいいのか全く分からない。  殺してしまいそうだ。  一郎の中で殺されかけた陸夫は、顔を真っ赤にして俯いている彼の姿に満足した。急に一郎が顔を上げてしがみついてくる。 「おう、どうしたどうした」と鷹揚に抱きとめた陸夫に、一郎は顔を押し付けてぐりぐりとこすった。翼がばさりと姿を現して、羽をまき散らした。陸夫は頭を優しく撫でる。翼にそっと触れる。  ぐっと息が詰まる音が聞こえて、ずしりと腕に体重がかかった。  一郎は気を失っていた。  なにがどうしてそうなった。  ぶはっ、と陸夫はふきだす。  なんだこいつ、おもしれー。

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