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第7-2話
一郎は呆然としたまま椅子に座っていた。陸夫が負の感情を表に出しているところを初めて見た。いつも強引ではあるが、乱暴ではない。へらへらしていると言えばそうなのだが、大体表情は柔らかいし、あんなふうにイライラしているところを見たことがなかった。
そもそもどうしてあんなに機嫌が悪かったのか。
一郎はびくびくとおびえながらも、首を傾げた。
声をかけてきた学生のことを気にしているようでもあったが、理由がわからない。あの学生、南といっていたか、彼は陸夫を気にしている様子もなかったし、知り合いではなさそうだ。それとも一郎の知らない因縁があるのだろうか。
まだどきどきとうるさい心臓を押さえながら、一郎はふるりと体を震わせた。
南は突然一郎に声をかけてきた。
どうしても出席できなかった講義のノートを貸してくれというのだ。一郎は不審に思った。 知り合いでもなんでもないのに、いきなりノートを貸してくれとは言わないのではないか。 しかし、なんだか友達ができたようでうれしくもあった。
もしかして、自分と友達になりたくて声をかけてきたんじゃないだろうか。
うかれて都合のいい方向へ思考をシフトする。
南は食堂で一郎のノートを受け取ったが、先程陸夫が机をがんがんやっている時に、講義が終わったらテニスサークルの部室まで取りにきてくれと言った。陸夫が怖くて何も言わなかったが、そもそもなぜ自分が取りにいかなければならないのか。ノートなど別にいつでもいいし、貸したのに取りに来いというのも不遜な話だ。
釈然としないものの、一郎は断らなかったのは自分だからという理由で、大人しく南の言う部室に足を運んだ。
一郎が足を踏み入れたことのないサークル棟というものがあるらしい。
わいわいと楽しくやっている人たちがいっぱいいるのかと思うと少し心が曇ったが、中途半端な時間のせいか、あまり人はいなかった。言われた部屋の前にきて、どうすればいいのかわからず、一郎は小さくノックをしてみる。
すると、すぐに南の声がして、ドアが開くと同時に部屋の中に引っ張り込まれた。勢いがありすぎて、一郎は床に倒れこむ。痛いと呟きながら顔をあげると、南以外に2人いて、なんだかにやにやと一郎を見下ろしていた。
「……ノートを取りに来たんだけど」
なぜ突き飛ばされたのか。一郎がむっとしながら彼らを見返すと、南が口を歪めた。
「言ったろ、こいつ見た目はかわいいって」
南の言葉に、ほかの2人もうなずいた。
意味がわからない。立ち上がろうと腕に力を入れると、肩を押さえられて再び床に倒れこんだ。
「何をするんだ」
痛い、ともう一度つぶやきながら体を起こそうとする。しかし、上から押さえつけられていて、起き上がれなかった。
「佐々木くんさ、よくそこらへんで男のものくわえこんでるよね」
言われて、一郎は納得した。
こいつらも精気を吸って欲しいのかと。
なぜか噂をたどってわざわざ頼みにくる人間もいる。願ってもない話なので、一郎は断ったことはなかった。
しかし、3人か。少し面倒くさい。
いや、ここでカウントを稼ぐべきか。
なぜか床に押さえつけられたままだが、一郎は南を見上げた。
「どいてくれよ。してほしいならしてやるから」
その言葉に、3人はどっと笑った。「だってさ」と南が2人を見回すと、一郎を押さえ込んだまま、彼の服を脱がそうとしてきた。
一郎はぎょっとして、その手を止めようとする。別の1人に両腕を押さえつけられて、さらに身動きがとれなくなった。
なぜ脱がすのか。一郎は少し恐ろしくなった。まさか陸夫のように上に乗っかりたいとでも思っているのだろうか。そんなことをしてきた人間は陸夫以外いないのだが。
ベルトに手をかけられて、小さく悲鳴を上げた。
「別に僕が脱がなくてもいいだろ」
その言葉にも3人は爆笑する。
何がおかしいのだ。さっさと下着をおろせばいいのは南の方だ。一郎はいまだに状況を理解できずに、もがくことすらせず、少し怯えた目で南の手の動きを見ていた。
「やっぱり大人しいね。無理やりってのも楽しいんだけど」
南はにやにやしながら、一郎の下着の中に手を差し入れ、後ろの方へ指をすべらせていく。
ひっと息をのんで一郎は凍りついた。
ようやく状況を理解した。襲われているのは自分だ。陸夫がいつもしていることを自分はされようとしているのだ。
足で南を蹴りつけようとして、それも難なく押さえ込まれた。
「や、やめろ!」
一郎はすでに涙目だ。急に暴れだした一郎に興奮したのか、3人の顔が上気する。
「やっぱそうじゃなきゃね」
嬉しそうに南は一郎の服を下着と一緒にずりさげようとして、がんっ、と響いた音に驚いて顔を上げた。
ドアを誰かが蹴っている。
一郎は泣きながら音のした方を見た。鍵が吹っ飛んだのか、思い切りドアが内側に開く。
そこに陸夫の姿を認めて、声を上げそうになった。
「なんだよお前!」
さっきの奴だと、南がもらす。ほかの2人が立ち上がって陸夫につかみかかろうとして、思い切り殴り飛ばされていた。ひっと悲鳴をあげて、南は一郎から離れると、慌てて逃げようとする。しかし、入り口は陸夫がふさいでいるので、やはり容赦なく殴り飛ばされていた。
一郎は上体を起こすが、かたかたと震えてベルトを押さえつけるのが精一杯だ。陸夫が散々3人を蹴り飛ばすと、ぐいと一郎の腕を持ち上げた。いつも見ているので慣れてしまっていたが、陸夫は驚異の腕力を持っているのだった。あんなにきれいについた筋肉でもって殴り飛ばされたら昏倒してしまうのではないだろうか。とにかくそれはめちゃくちゃ痛そうだ。
一郎は己の状況を忘れて、陸夫に怯えた。
しかし、陸夫は一郎を立ち上がらせると、抱きとめて体を上から確認し始めた。どこも傷つけられていないとわかると、腕をつかんだまま部屋を出ていく。一郎は引っ張られるようにして陸夫の後を追った。
背中が怒っている。
一郎はまだびくびくとしていた。しかしいったいどこまで連れていかれるのか。結局陸夫は自分の住んでいるマンションまで一郎を引きずっていった。
部屋に入ると手を離される。
無言なのが怖い。
一郎が靴を履いたまま突っ立っていると、陸夫がいきなり抱きしめてきた。耳元でため息をつかれる。びくりと体を震わせて、一郎は棒立ちになった。
ぎゅうと陸夫の腕の力が強くなる。しばらくして、陸夫は体を離すと一郎の肩をつかんだ。
「お前なあ……」
はあ、と再び大きくため息をついて一郎の頭を撫でた。
「無防備すぎるんだよ」
一郎は助けられたのだと、ようやく理解した。
しかもわざわざ、おそらく自分を探して、来てくれたのだ。
一郎は再度確信する。
自分は陸夫にこの上なく愛されている。
そして自分も、もしかしたら陸夫以上に、彼を愛しているのかもしれない。
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