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第7-3話

 あまりにもぼんやりとしている一郎を見かねて、陸夫は手を引っ張ってソファーに座らせた。大人しくついてくるところが、かわいらしくもあり憎らしくもある。そんな風だから付け込まれるのだ。  一郎の頬に残っていた涙のあとを拭う。彼は顔をあげて陸夫を見つめた。 「ありがとう」 そう言って一郎は急に恥ずかしそうに俯いた。ぎゅっと袖を握られる。陸夫はもう一度頭を撫でると、ため息混じりに言葉を吐いた。 「多人数相手にすんなよ。お前弱いだろ」 「あれは、知らなかったんだ。いきなり引っ張られて」 「お前そんなんでよく今まで無事だったな」 「…………」  無事じゃなかったのか。 「翼を出したら大体逃げていく」 「じゃあなんでさっき出さなかったんだ?」 「体を押さえつけられて、起き上がれなかった」 「もしかして背中、床についてたから出せなかったのか?」 「うん」  うんじゃねーよ。 「あと、噛みちぎったりする」 「え?」  何を? と聞くのが恐ろしい。そういうところは悪魔だからなのか、容赦がなさそうだ。 一郎は不思議そうに陸夫を見上げた。  しかし、さっき震えていた気がする。この前も泣いていた。怖いことには違いないのか。 「あんま無茶すんな」  ぽんぽんと軽く頭を叩くと、一郎はぎゅっと腕にしがみついてきた。今更恐怖がぶり返してきたのか。一郎の頭を胸におさめて顎を乗せると、陸夫はもう一度ため息をついた。  やべー。かわいい。 「あんたはなんで、怒ってたんだ?」  突然一郎にそう言われ、陸夫は彼を見下ろした。 「怒ってた? あいつらにか?」 「違う。僕に対して」 「俺が、お前に? なんか怒らせるようなことしたのか?」 「してない」 「じゃあ怒る理由がないだろ」 「…………」  陸夫は本気で忘れていた。散々横暴な振る舞いをして、一郎を怯えさせていたことを。 そもそも、陸夫には苛立っていたという自覚すらない。嫉妬など、今までの陸夫には一番無縁のものだった。  一郎が腕をつかんでいる手に力をこめた。顔をあげて、真剣なまなざしを向ける。 「頼みがあるんだ」 「なんだ?」 「キスしてくれないか」 「ぶはっ、何それ誘ってんの?」  陸夫はふきだすが、一郎は真剣な顔のままだった。うっと笑いを収める。どうやら本気のようなので、どうしていいかわからず陸夫は頭をかきむしった。 「お前さっき、あいつらになんかされたんだろ?」 「なにもされてないけど、上書きしてくれ。人間ってそういうものなんだろ?」  なにもされてないのかよ。  陸夫は再びふきだしそうになって、腹に力を込めてこらえた。一郎のまなざしが突き刺さる。  一郎はよく、人間の行動を真似ようとする。おそらく本当に人間に馴染みたいのだろう。しかし、ずれているので馴染めていない。それに気づいていないのでずっと馴染めない。  陸夫は小さくため息をつく。よしよしと一郎の頭を撫でて顔を引き寄せた。 「怖かったら言うんだぞ」  小さくうなずいたのを見て、そっと唇を重ねた。じわじわと歯の裏をなぞり、舌をからめる。上あごを舐めて、少し離れると息をついた。何度も繰り返していると、拙かった一郎の舌の動きが手練れてくる。知識を吸収するのが早い。  もはやキスをしているのかされているのかわからなくなって、陸夫は少し強く一郎の体を押した。 「ちょっと待て」  離れた一郎の顔がとどめを刺した。目を潤ませて、よだれをたらし、口が半開きになっている。赤い舌がちらりと覗く。陸夫は俯くと息を止めた。 「勃っちゃったんだけど、どうしてくれんの」 「ん……」  よくわからないのか、一郎はぼんやりと陸夫を見上げる。からかってやろうと頭を抱き寄せると、耳元で囁いた。 「責任とれよ」  一郎の体がぶるりと震えた。  やんわりと陸夫をソファに押し倒し、ベルトに手をかける。陸夫は驚いて、その手をつかんだ。 「おい、やめろ。冗談だ」  しかし一郎は陸夫の手を持ち上げると指を舐める。  なんだ、どうしたんだこいつ。  陸夫はいつもより積極的な一郎に戸惑う。そもそも自分から、何かをしようとしてきたことなどほとんどない。そんなことを考えている間に、一郎はさっさとくわえて吸っていた。 「おい、ちょっとまじでやめろって」  陸夫は主導権を握られるのが苦手だ。何をされるかわからないなど、恐怖でしかない。だからいつも自分勝手に動いているのだ。己のテリトリーに人を入れることはめったにない。  一郎はしかし、手も口も止めなかった。半ば強引に陸夫の快感を引き出し、後戻りできないところまでに高めてしまう。息を詰まらせて、陸夫は一郎の頭をつかんだ。 「んあ……まじで、やべーんだって……」  荒くなる呼吸を止められない。頭を持ち上げて一郎を見ると、目が合った。再び一郎の表情がとどめを刺す。  よだれ垂らしてんじゃねーよ。  陸夫は小さく呻いて一郎の口の中へ精を吐き出した。一郎の翼がばさりと羽をまき散らす。 「……くそっ」  陸夫は手で顔を覆った。一郎はおかまいなしにごくごくと飲んでいる。恥ずかしすぎて死にそうだった。 「はやすぎる……」  陸夫のプライドが思い切り傷つく。散々一郎を早漏早漏と馬鹿にしてきたが、今のはいい勝負なのではないか。積極的な一郎なんて萌えるだけだ。  飲み終わった一郎がのしのしと体を前に動かし、陸夫の顔に自分の顔を近づける。唇が触れそうになって、だいぶ強めに頭を押した。ぐっと一郎が呻く。 「自分の精液の味なんて知りたくないっての」  ぐぐぐと一郎は力を入れてくるが、陸夫にかなうはずもなかった。  一郎はむっと眉間にしわをよせる。  しかしあきらめたのか、陸夫の腰の上に乗って上体を起こした。  マウントポジションをとられている。陸夫は早くどいてほしかった。 「そんなに腹減ってたのか?」  陸夫の言葉に一郎の眉間のしわが深くなる。ぐいぐいと陸夫の腹を押して呟いた。 「やりたかったからやっただけだ」  その言葉に、思わず陸夫は体を起こすと、一郎の頭を抱き寄せた。翼の骨のようなものが陸夫の頭に当たる。一郎にぎゅっとシャツの胸元を握られると、何度目かのため息をついた。 「お前かわいすぎるんだよ」  はああ、とひと際大きく息を吐き出すと、ぎゅうと力強く一郎を抱きしめた。  ぴしりぴしりと何かに亀裂が入っていく。  今までにない感情が流れ出ていく。  そしてその感情を持て余す。  何がどうなっているのかわからない。  陸夫は少し恐ろしくなった。

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