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第8話

「僕はデートがしたい」  唐突に一郎に言われ、陸夫は飲んでいたコーヒーをふきだしそうになった。それを不思議そうに見上げてさらに言い募る。 「セックスをする相手とはデートというものをするんだろ?」 「……そうでもないと思うけど……」  陸夫は今まで誰かと付き合ったことはなかった。セックスをする相手とどういう関係性なのかなど気にしたことがない。  しかし、陸夫の曖昧な反応に臆することなく、一郎はぐいぐいと体を寄せて見上げてきた。  最近妙に積極的だ。 「まあ、遊びに行きたいっていうなら付き合ってやるけど」  陸夫の返答に一郎は目を輝かせ、初デートだ! と声を上げていた。最近テンションもおかしい。  それにしても、その知識はどこから手に入れてくるのだろうか。ファッション誌とか読んでたらうけるんだけど。 「どこ行きたいんだ?」  その言葉に、一郎は首を傾げた。 「どこに行くんだ?」  陸夫はふきだして、俺が聞いているんだよと一郎の頭を撫でる。しかし、何も考えていないうえに、デートという言葉だけしか頭になかった一郎は、どうすればいいのか本気でわからないようだった。 「じゃあまあ、映画でも見に行くか」  言ってみたものの、陸夫はテレビをあまり見ない。テレビをつけたとしても見るのはニュース番組だけで、ほとんど画面は真っ暗なままだ。映画など論外だ。一郎に至っては、テレビすら持っていなかった。  なので一郎は、大きなスクリーンで映画というものを見るのは初めてだった。安っぽいアクション映画に子供のようにこぶしを握り締めて夢中になっている。陸夫はそれを見て苦笑する。ポップコーンでも買ってやればよかったかと、笑いをこらえた。  映画館をでると、近くに本屋があったので、陸夫は教材を買うと言って本屋に入る。一郎はぐるぐると周りを見回していたので、放っておいて本を探しに行った。  何冊か手に持って一郎を探していると、なぜか絵本のコーナーにいた。  飛び出す絵本に見入っている。  目を輝かせているその様は、もう子供だった。近づいていくと、一郎は振り返って陸夫に絵本をつきつけてきた。 「これ開くと出てくるんだ」  もう少しマシな言い方はなかったのか。  真面目な表情の一郎を見て、陸夫はふきだす。 「まあ、そういう本だ」 「これも本か」  しげしげと眺めては色々なページを捲っている。  いや、本じゃなかったら何だと思ったんだよ。  一郎はその絵本を手に取って陸夫が持っている本の上に置いた。 「俺が買うのかよ」 「デートは男がお金を払うんだろ?」 「じゃあ、女は俺なんじゃねえ?」  そう言うと一郎はうーんと首をひねって、そうだなと納得した。陸夫が手にしている本を奪ってレジに並ぶ。冗談のつもりだったのだが。苦笑して横に並ぶと頭をぽんぽんと叩いた。  本屋からでると、一郎は鼻をすんすんとひくつかせた。 「いい匂いがする」 「あれだ。クレープ」   広場に出ていた移動販売の車を指差す陸夫を、一郎は不思議そうに見上げた。 「くれーぷってなんだ」  ……知らないのか。  なんだと言われてもなんと言えばいいのか。 「甘い食いもんだよ」  陸夫のあんまりな説明に、一郎はへえと声をもらし、じっと車を見つめていた。 「見に行くか?」 「行く」  少し食い気味に返事をして、さっさと歩き出す。貼り出してあるメニューを見て、一郎はまたもや目を輝かせた。  食べたいって言うんだろうな、と陸夫は一郎を見下ろす。言う前に、一郎はすでにメニューを吟味し始めていた。散々悩んだ挙句に、まるで苦渋の決断だとでも言うようにチョコバナナを指差す。意外とスタンダードだ。陸夫は小さく息をもらして一郎の頭を撫でると、先に座って待ってろと背を押した。  これでは本当に、デートのようだ。  コーヒーとクレープを手に持って一郎のもとへ戻ると、彼は男に絡まれていた。よくよく絡まれやすいやつだなと嘆息し、陸夫がそばによっていく。絡んでいた男がちらりとこちらを見、舌打ちしながら去っていった。 「知り合いか?」 「知らない」 「なんだよ、ナンパか? お前かわいいけど女には見えないぞ」 「遊びに行こうと言われたから、今デートをしているから無理だと言った」  陸夫はふきだした。少しあの男に同情する。どういう理由で声をかけたのかは知らないが。 「ほら」とクレープを差し出すと、陸夫はコーヒーを手に椅子に座る。  一郎は顔を輝かせてがつがつと食べていた。食べっぷりが男らしい。鼻の頭にクリームがついているあたりは女みたいだと思いながら指ですくう。  すると一郎は陸夫の指も口に入れた。 「おい」 「それは僕のだ」  クリームを舐めとると、また本体に取り掛かる。そばに座っていた女たちがざわめいていたので、振り返って笑顔を見せてやった。  突然一郎が陸夫の胸倉をひっぱる。 「なんだよ」 「あんたは今僕とデートしてるんだ」  周りの女に現を抜かすなということか。しかし、デートという言葉を使いたいだけなのだろうが、何かを勘違いしているような気もする。  それにしても。  一郎の目には、珍しく映るものがたくさんあるのだなと感心した。確かに5年しか人間と一緒に暮らしていないので、納得する部分はある。しかし、今までどうやって生きてきたのだろうか。服ぐらい買いに行くだろうに。  そう一郎に聞くと、すごいことを言ってのけた。服も本も今住んでいるマンションすらも、すべて相手をした人間に与えてもらったというのだ。食事は空腹感を埋めるだけなので学食で十分らしい。そのお金もそういう経路で手に入れているという。  だから何も知らなかった。生きるために必要な知識を。  そこら中にパトロンがいるのか。なんて恐ろしいやつなんだ。  じゃあ自分とばかり一緒にいていいのかというと、飛べないから行けなくなったとあっさり言った。恨み言ではないようだ。もう、自分が飛べないことを受け入れているのか。少し笑うと、一郎がむっとした。 「返してくれたら飛べるんだ」  忘れていなかった。  まあ、生活にかかわることなら、連絡ぐらいしてみたらどうだと言うと、連絡先を知らないという言葉が返ってきた。  いやまじで。どうやって今まで生きてきたんだ。  悪魔だから何とかなるのだろうか。  クレープを食べ終わった一郎を連れて、陸夫は部屋に戻ってきた。  疲れた。人混みは苦手だ。  ベッドの上に倒れこむと、一郎がそばによってくる。 「今からセックスだな!」  その言葉とテンションに陸夫はため息をついた。 「いやもういいよ」  むっとする一郎を無視して目を閉じる。  今まで自分からしたいなどと言わなかったのに。  マウントポジションを取られそうで恐ろしい。陸夫の力でもってすれば押さえつけることなど容易いが、そんな気力もなかった。  積極的すぎるのも考え物だ。

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