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第9-3話

 一郎が目を覚ますと陸夫が斜め上から見下ろしていた。  そっと頭を撫でられる。 「どっか痛くないか?」  言われてズキズキと熱を感じる部分に手を当てた。 「ちょっと痛い」 「ん、ごめんな」  一郎はぎょっとして陸夫を見やる。なんて素直に謝るのだ。そんなこと、一度もなかった。思わず一郎は聞き返す。 「え?」 「ん? ちょっとやりすぎちまったな」  さすがに今日はやりすぎたと、陸夫も反省していた。一郎が目を見張りながら陸夫を見つめていると、再び頭を撫でられる。 「どした?」  一郎は体を反転させて陸夫に背を向けると枕に顔を押し付けた。 「ぼ、僕は、あんたから愛情をもらってるんだから、少しぐらい、我慢する」  どくどくと心臓が震えた。頰が熱くなる。甘い感情が湧き上がる。 「ん? なんて?」 「あんたが気持ちよくなってくれるなら、別にいい」  陸夫はわしわしと一郎の頭を撫でた。 「お前かわいいなー」 「……愛を交わし合ってるんだ、当然の」 「へ?」  陸夫が一郎の言葉を遮って妙な顔をした。そしてその後に爆笑する。 「愛を交わし合う? 悪魔のくせにいきなり何言ってんだよ、ぎゃはは」  一郎はぎょっとした。なぜ急に馬鹿にしたように笑うのだ。 「な、なにがおかしいんだ! セックスってそういうことじゃないか。悪魔にだって愛情はちゃんとあるんだ」  陸夫はすっと目を細めた。ふいと一郎から視線を外す。 「……ふーん。面倒くさいな」 「…………」  冷たい手で心臓をわしづかみにされたような気がした。  どうして。どうして、そんなことを言うのだ。  面倒くさい? さんざんセックスしておいて?  一郎は涙ぐんだ。  一郎と陸夫の考えには大きな隔たりがある。ただ快楽を求めるだけの陸夫と、愛情に付随する行為だと思っている一郎。両者の考えが重なり合うことはない。  しかし一郎はずっと勘違いしていた。強引に一郎を求めるほどに、陸夫に愛されているのだと。  だから訳が分からない。  どうして急に冷たくなったのか。どうして愛情を否定されたのか。  一郎はそっと陸夫から手を離した。なんだか触れていてはいけないような気がした。  今度は陸夫が一郎に背を向ける。そんなことをされたのは初めてだった。 「愛情なんてもん俺は持ち合わせてねえよ」  一郎は心の中で叫んだ。  今更何を言うんだ!  もう陸夫に触れられなかった。向けられた背中が一郎を拒絶しているように見えた。今までのことはいったいなんだったのか。  一郎は泣きながら起き上がって服を手に取った。  涙が出るなんて。これは、そばに人がいなければ解決することだ。誰もいなければ悲しくなりようがない。  唯一信じていたものを否定されて、踏みにじられて、それでどうして彼のそばにいられるというのだ。  早く、ここから離れなければ。ここから逃げ出さなければ。  心が壊れてしまう。  一人でいればいい。今までそうしてきたじゃないか。  陸夫に出会うまで、そうやって生きてきたじゃないか。  ぐるぐると思考しながら慌ててシャツのボタンをとめる。 ごそごそと一郎が動いている音で陸夫は振り向いた。一郎が泣きながら服を身につけている。立ち上がろうとしたので、陸夫は彼の手を引っ張った。 「なんで泣いてんの?」  その言葉に一郎の口から小さい叫びがもれた。  こいつを、殺してやりたい。  一郎はそんなことを考えた自分に戦慄した。  違う。違う違う! そんなこと思ってない!  もうどうすればいいのか分からない。  本当は、一人になりたくない。  なのに、今、自分は、彼を殺したいと考えた。  それを、もしかしたら実行してしまうかもしれない。だとしたら、一緒にいてはいけない。  陸夫のそばにいたい。しかし、それすらも許されない。  もう、ほんとに、どうしたら……。  訳が分からなくなった一郎は声を上げて泣き、その場に立ち尽くした。  陸夫はぎょとして起き上がる。 「なになにどうした? そんなに痛かったのか?」  慌てて手を引っ張りベッドに座らせる。よしよしと頭を撫でて、胸に抱き寄せた。  いい大人が号泣した。笑って済ませるわけにはいかない。  一郎の涙をぬぐいながら頬を撫でる。どうして泣いているのかわからない。一郎の目をのぞきこむと、す、と少しだけそらされた。  そっと口づけをすると、一郎が陸夫の肩をどんと叩いた。  誤魔化された。一郎はそう思った。自分でもどうして泣いているのかわからないのに、陸夫が理解しようとすることを放棄したのだと思うと、殴りつけたくなった。  一郎は陸夫を押しのけて立ち上がると、「帰る」とつぶやいて玄関へ向かう。 「おい!」  声は聞こえるが追ってこない。  それがさらに一郎を打ちのめす。  愛情が憎しみに変わるのは簡単だ。  でも一郎は、自分の感情がどちらなのかわからなかった。

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