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恋を奏でる爪音:遠出
不器用なふたりの恋の行方を、私なりに思案することが続いたある日。渡り廊下を通りかかると水野宮様のお部屋から、大層上品で艶のある琴の音色が漏れ聞こえてきた。心地いい琴のしらべに導かれるように、水野宮様のお部屋の前まで足を運び、目を閉じて暫し耳を傾けた。奏でる曲の頃合いを見計らい、思いきって部屋の中に入る。
「失礼する、また腕をあげたな翼の君」
「これは|鷹久《たかひさ》殿。昨夜は遅くまで琴の稽古にお付き合いくださり、誠にありがとうございました」
互いに目を合わせながら居ずまいを正して、丁寧に床へ平伏した。
「翼の君の情熱には舌を巻く。ほんに琴が好きなのだな」
「あ、はい。下手の横好きなのですが……」
昨夜も遅くまで修練を積んだお蔭で、その成果は琴の音に表れていた。翼の君の性格を表すような、素直であたたかな音色を渡り廊下で耳にした瞬間から、思わず聞き惚れてしまった。
下手の横好きと翼の君は称したが、その言葉をなきものにするくらいに、域を超えた才をもっていると思われる。
「|鷹久《たかひさ》殿、これから宮様に囲碁のご指南でしょうか? それとも楽筝の方で?」
突然宮様の部屋に現れた、私の動向が気になったのであろう。私が現れたことによって辺りに漂う堅苦しい雰囲気を変えるべく、微笑みながら首を横に振り、話の趣旨を変えようと訊ねてみる。
「どちらでもない。ところで翼の君は、今様はお好きか?」
今様とは日本音楽の一種目で、平安中期までに成立し、息が長く流行した歌謡である。
「はい。琴と等しく今様を聞いていると、心がとても落ち着きますゆえ」
「実は今様の歌い手で、大層人気のある者が青墓にいるらしく、雅楽寮の者が聴きに行ったところ、確かに良かったということでな。翼の君さえよければ、私と一緒に聴きに行かぬか?」
「雅楽寮の頭であらせられる|鷹久《たかひさ》殿に、吾のような者がご一緒しても、よろしいのでしょうか?」
まだ秘められているであろう翼の君の才を伸ばすために、思いきって誘ったが、本人が行く気になっても、残念ながら障害がつき纏うのが世の理。それを壊すべく説得の言の葉を、頭の中であらかじめ考えた。
「ああ。では宮様にお伺いしてみようか」
私からの誘いが、とても嬉しかったのだろう。頬を紅潮させて、興奮を抑えきれない様子の翼の君をそのままに、私は音をたてずに立ち上がって部屋の中央に佇み、周囲をぐるりと眺めてみる。すると部屋の隅にある御簾から、見慣れた色の衣がちらりと見え隠れした。
「そこにお存すは、水野宮政隆親王殿下。ご機嫌麗しゅう!」
水野宮様に向かって、これ以上隠れられないことを示すように、あえて大きな声で語りかけた。
「えっ? そんなところに、宮様がいらっしゃったのでございますか?」
翼の君に見つけてほしくて、わかりやすい所にご本人はお隠れになっているようだが、彼は一生懸命に琴の修練に励んでいたため、その存在がまったく目に入らなかったのであろう。
(私としては宮様のそういう所作が、愛らしくて堪らないのだが――)
瞳を細めて心底呆れる私と、驚いて固まっている翼の君の前に、水野宮様が渋々といったご様子で御簾の影から出てきた。
「どこにいても、予の勝手であろう!」
への字口をして、不機嫌が見てとれる表情に腹を決めてその場に平伏し、口火を切ってみる。
「宮様にお願いしたきことがござります。雅楽寮の頭として、翼の君様を青墓(今様の里)にお誘いしたいのですが、そのお許しをいただきたく、お願い申し上げます」
「青墓? 青墓まで行かねばならぬのか?」
水野宮様の声色が、翼の君を青墓へ行かせたくないと表していた。ここから青墓までは、それなりの距離がある。今までずっと一緒に過ごしているゆえに、片時も離れたくはないのだろう。
そんなお気持ちは承知だったが、水野宮様から視線を逸らさずに、淡々と説得を試みる。
「はい。青墓によい歌い手がいるとの話で、この耳で直接聞いてみとうなりました。それと今様に造詣の深い、翼の君の耳をお借りして検証したいと思いまして。もしそれほどの歌い手であれば、こちらにお招きすることも考えたく存じます。いかがでござりましょう?」
じっと考え込む水野宮様を、翼の君と一緒に静かに拝見した。
「……なるほど、相わかった。許可しよう。招待できる歌い手だとよいな」
暫しの間のあとに発せられた言葉に歓喜し、翼の君と目線を合わせて喜んだ。そしてすぐさま姿勢を正し、床に平伏して礼を告げる。
「恐悦至極に存じ奉ります」
頭を上げてから、隣りにいる翼の君へ声高に話しかける。
「では翼の君、打ち合わせをお願いいたします。準備の都合上、雅楽寮に来ていただけると、大変助かります」
「わかりました。では今から――」
「待てっ、翼の君! 話があるんだっ」
とても嬉しそうに微笑みながら返答した翼の君の言葉を遮るように、割って入られた水野宮様。大きな声を普段は出すことのないそのご様子で、とある考えが私の頭に浮かんだ。
(――これはもしや、この間の歌会で詠んだ和歌についての話かもしれない)
「では私は、これにて失礼いたします」
平伏したのちに立ち去ろうとしたら、翼の君が不安そうな面持ちで私の顔を見つめる。
(そんな暗い顔をせずに、いい加減に宮様のお気持ちに応えたらいいのに……)
その視線をあっさり無視して、私は部屋をあとにしたのだった。
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