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恋を奏でる爪音:遠出 3

***  美濃の国、青墓までの旅は数日かかる。隣にいる彼を見やると、なにやら考え事をしているらしく、どこか虚ろな表情を醸していた。翼の君の大事な考えを遮らぬように、無言でひたすら足を前に進ませる。  そして宿に到着し、一息を入れようと茶を戴きながら、単刀直入に話しかけた。 「宮様がそんなに心配か? 翼殿」  長旅を共にするゆえに、あえて呼び名を変えて問いかけると、翼の君は一瞬呆けた顔をしてから、頬を赤く染めて首を横に振る。赤ら顔の理由は多分、私が図星をついてしまったせいだろう。 「そんなことはございません。これから拝聴する楽曲が、大層気になりまして……。ただ、それだけでございます!」  翼の君は私の告げたことを払いのけるように首を横に振り、上ずった声で否定したが、慌てふためいて誤魔化そうとしたせいか、顔と一緒に耳まで赤く染める。わざわざそれを指摘するほど意地悪くないので、話にノってやるべく、朗らかに微笑んで返答してやる。 「では良き土産話を、たくさん持って帰るようにしようか」 「そうですね。仕事をさし置いてこうして旅に出ているのですから、土産話を持ち帰らねばなりません」 「宮様の御前に召し出せるような、歌い手がいるといいがな」  この間のような嫌な雰囲気のないやり取りに満足して、口角をあげながら茶を一口すすった。互いに和やかになったところで早速本題を切り出すべく、手にした茶碗を静かに置いて、翼の君に思いきって訊ねてみる。 「立ち入ったことを訊くが、翼殿は宮様をお慕いしているんだよな?」 「は?」  赤ら顔のまま両目を大きく見開き、私の顔を穴が開くほど見つめる。驚きを露にした翼の君に、追い打ちをかけるように語りかけた。 「翼殿の行動を見れば一目瞭然だ。いつも宮様を、その目で追っているではないか」  ただ目で追っているだけではない。水野宮様に向けて注がれたまなざしから、翼の君の熱情が溢れ出ているのを何度も垣間見ていた。 「ちっ違います。それは|家司《けいじ》として、宮様のために吾は尽くさなければならぬと思っておりますゆえ、いつでもご命令を聞けるようにと、常に目を光らせているだけでございます……」 「言いわけなんて見苦しいぞ! して翼殿は、宮様にお気持ちを打ち明けてはいないのであろう?」  さきほどよりも顔を真っ赤にして必死に誤魔化す翼の君に、私は腹の底から声を出して言の葉を告げた。腹を割って話合おうと事前に約束していたというのに、これ以上嘘をつかれてはたまらない。 「もちろでございます。吾のような身分の低い者が、宮様をお慕いしているだけでも、大変申し訳ないというか」  きまり悪そうに視線を彷徨わせた翼の君は、手にしている茶碗を回しながら、眉間に皺を寄せて苦しそうに吐き出した。 「身分などとなにを言っている。それになにゆえ申し訳ないなどと。なにか事情がおありか?」   翼の君の伏せられたまぶたが影を作り、悩みを一層色濃く映し出した。 「私に話すだけでも、翼殿の気持ちが楽になると思うのだがどうだ? 思いきって打ち明けてみないか?」  声をかけながら肩に手を置いてやり、慰めるように優しく叩いてみる。翼の君の心に嵌められている重たい枷を外してやるべく揺り動かしてから、顔を近づけて迫った。 「あの……|鷹久《たかひさ》殿はご存知でしたか? 宮様が山上宮様と恋仲だったということを」  気持ちが沈みきった翼の君の口から出された内容は、私の知っていることだった。肩に置いた手を退いて、膝の上に拳を作る。 「――ああ。山上宮様がご生前の頃、ふたりきりで屋敷にいるのを、よく見かけていたからな」  いつだっただろうか。夜空に浮かぶ満月がこちら側に迫ってくる様を拝みながら月見酒でも飲もうと、夜更けの廊下を静かに歩いていると。 『あっ…ああん! やぁっ、あっ…んあっ……ぁっ…はぁ』  情事真っただ中の誰かが喘いでいる甘い声が、風に乗って耳に届いた。漏れ聞こえる声の方角は、水野宮様の褥がある寝所からだった。 (もしや今まさに、誰かに抱かれているんじゃ――)  お慕いしている相手の甘い声を聞いたせいで、気が気じゃなかった。頭の中に寝殿の見取り図を思い描き、水野宮様の部屋が見渡せる場所を探り当てる。表現しがたい複雑な気持ちを抱きながら足早にそこへ辿り着き、自身の双眼に映りこんだものに、心の底から驚きを露にした。  夜更けで誰も来ないと思ったのか、半分だけ御簾を上げ、月明かりの下で行為に及ぶおふたりの姿がそこにあった。最近恋仲になったと噂の山上宮様に抱かれて、長い髪を振り乱しながら肩で息をし、苦しげに喘いでいる水野宮様がそこにあらせられた。  うつ伏せのまま褥の上で色香を放っている水野宮様の上に、山上宮様が覆いかぶさるようにして細い腰を持ち上げ、これでもかと激しく責め立てる。 「やっ…ああぁっ、もぅ無理だ山上宮っ。そんなに、荒々しくっ…されたら、予が壊れ……んっ、てしまう!」 「無理だなんて言ってくれるな宮よ。こんなに感じさせてやっているというのに」 「あ……っは…ぁ、……だって、もう…胸がっ、んっ…苦し…くて」 「予に貫かれる悦びで、胸が苦しいって? 宮の胸が苦しいだけではないくせに。確か、ここであったか?」  持ち上げていた腰の角度を少しだけ変え、奥に向けてぐぐっと突き上げた山上宮様の動きに合わせて、上半身を何度かしならせている水野宮様のお姿から、すごく感じているのが見てとれた。 「あ、あぁ、あぁっ、そっ……そのようなことをさ…れたら、また!」  とても悔しかった――みずからの手で、快楽に溺れさせることができないのをひしひしと感じさせられるゆえに、その場で寝乱れる水野宮様を食い入るように、じっと見つめてしまう。  叶わぬ恋の苦しさで、身体の脇に控えている両手を握りしめた瞬間に、なぜだか山上宮様と目が合う。そのことに驚き立ち竦む私を、印象的な一重瞼を細めて鬼のように睨む山上宮様のお顔から、どうしても目が離せなかった。  ――これは我の者ぞ。捕れるものなら捕ってみろ――  視線から伝わってくる山上宮様の熱い想いが、私の動きをすべて封じる。瞬きはおろか、手も足も動かすことができずに、短い呼吸をするのがやっとだった。 「宮よ、一緒に果てよう。存分に感じさせてやるぞ」  山上宮様は快感で震えている水野宮様の身体を抱き起こし、ゆっくりと反転させて抱きしめ合う。片手は腰に、もう片方は水野宮様自身を入念に弄りながら、下から激しくこれでもかと腰を打ちつけた。  それらを器用にやりながら、視線はまっすぐに私へ向ける。獲物を前にした猛獣みたいな山上宮様の目つきは、水野宮様を食しているからなのか。それとも私を見下しているせいなのか――。 「ああっ、いっ、イく!」  自ら腰を上下させて身体を痙攣させて果てた水野宮様を、山上宮様はぎゅっと抱きしめてから、褥に優しく横たえさせた。 「そろそろ予もイかせてもらおうか。おまえの中で感じさせておくれ」  絶頂したあとで脱力している水野宮様に告げたというよりも、私に聴こえるように仰った気がした。 「これ以上貴方に感じさせられたら、死んでしまうかもしれないぞ……」  掠れた声を出した水野宮様が、愛おしそうに山上宮様を見つめる。絡み合う視線は想い合うふたりだからこそ、甘さを感じさせるものだった。 「予の一生をかけて、宮を愛し続けてやろう」  山上宮様その言葉で、ようやく廊下を去ることができた。愛し合うおふたりを前に私は無用だというのを、嫌というほど実感させられた。

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