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恋を奏でる爪音:遠出 5

***  この時代、女性とは直接顔を突き合わせることはない。女性が扇で顔の前を覆ったり、御簾や几帳という衝立のようなもので、つねに顔を隠した状態で対面していた。  しかし今様を詠う際には、立烏帽子をかぶり水干を身につけて男装し、扇を手にしながら美しく舞い踊る。  舞台上の歌い手を、私だけじゃなく翼の君も食い入るように見つめた。演目が変わるたびに歌い手も次々と代わったが、その中でも一際目を惹いたのは、演目の最後で恋人を想った題材の今様を切なげに詠う女性だった。  手に持つ開いた扇をうまく使い、内に秘めた感情を表すかのように、時折ひらひら動かしながら詠いあげる。  どこか苦しげな表情とは相反する声量は、体全部に響き渡るほどにとても大きなもので、困惑しながら翼の君を見たら、自身の胸元を握りしめる姿がそこにあった。 『吾のような身分の低い者が、宮様をお慕いしているだけでも、大変申し訳ないというか』  自身の気持ちを済まなそうに告げた、翼の君の言の葉を思い出す。舞台で今様を詠う女性の面持ちと、そのときの翼の君の顔が一致しているからこそ蘇った。  そんな気弱な性格をしているのに、山上宮様が亡くなり、床に臥せた失意の水野宮様を元気づけるために、琴を聞かせるなんて私が思いつかないことを、彼は見事にやってのけた。 (青白い顔色のまま、なにもない天井を虚ろな目でお見つめになる宮様を、私はお傍で眺めているだけで、お声をかけることすら叶わなかったというのに――)  どこか物言いたげな顔で歌い手を見つめる翼の君の横顔を、じっと眺めてしまった。 「もしや、見抜かれておられたのか……」  声高々に今様を詠う女性の声で、私の呟きが綺麗にかき消される。 (翼殿は気弱だが、誠心誠意の真心をもって宮様に尽くそうというぶれない想いを、胸の内に熱く秘めていた。山上宮様は数少ないやり取りからそれを見極め、翼殿に遺言を託したのかもしれない) 「山上宮様に恋をしていた宮様から目を逸らしてしまった私ではなく、翼殿に想いを託したのだな」  隣から視線を元に戻して、華麗に今様を謳う女性を見上げた。美しいしらべを耳に焼きつけるように、必死になって憶える。  翼の君と水野宮様の恋を成就させるための小道具になる、今様をしっかりと聞き込んだ。  自分にできることを見つけた喜びを噛みしめつつ、膝の上に置いた両手で、そこにはない琴の弦を鳴らしたのだった。

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