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苦い記憶

ハヤテの叫び声にアルは我に返った。 「やめて、お願いっ……お願いだからっ……食べないで……う」 ハヤテはひっくひっくと泣きじゃくりながら、子うさぎのように震えている。 「……怯えるな。食べたりしない」 「お願い……いやだ……死にたくない……ッ」 怯えて震える声にアルの胸がチクリと痛んだ。アルはハヤテの手枷を外し、ディルドを抜いた。そして、まだ震える小さな体をそっと抱きしめた。 「食べたりしない。お前を殺したりしない」 「う……ひっく…ほっ…ほんとに……?」 「ああ。食べない」 「う、うぇっ……怖かっ……っう」 アルはたまらなくなって、華奢な少年の体を包むように抱きしめた。 「……泣くな」 そうしてアルの宥めるような声を聞いて、ハヤテは泣きながら眠りに落ちた。 腕の中で怯えながら眠った少年を抱きしめたまま、アルは幼い頃の事を思い出していた。 父は黒狼の部隊の大隊長だった。強く逞しい父に幼いアルは憧れていた。滅多に家に帰って来なかったが、ある日、狩りの土産に生きたウサギを持ち帰った。アルはウサギにユキと名付けて、可愛いがって世話をした。 7つの時、アルは父に連れられて家を出た。ウサギのユキも一緒だ。 母が厳しいが悲しげな眼差しで自分を見送ったのを覚えている。 父はアルを訓練場へと連れて行った。 『やめてッ! 父さ……なんで……ッ!?』 そして、アルは衣服を剥がされて闘技場に放り込まれた。 『我が息子ならば戦士となれ』 ガタガタと震えていると、父が目の前でウサギのユキの首を引きちぎった。 『やめてぇ───ッ!!』 幼いアルは頭からユキの血を浴びた。 『血の味を覚えるのだ』 『あ……あ……』 父は『食え』と言って、ウサギの生肉をアルの口にねじ込んだ。 『うげぇ……げっ……やだッ!』 何度吐き出しても無理矢理食べさせられた。可愛いがって世話をしていたウサギの生肉を。 当時、領土を拡げようと竜族達がハイランドから狼族の領地に攻め込んできていた。長く、大きな戦になる。勇猛な戦士を早く育てねばならなかった。 狼族はアルファである王に忠実で秩序を重んじ、知的で文化的な生活を送っていた。 だが、己の国を守る為には完璧な戦士が必要だった。黒狼達は元々、体も大きく戦う本能が強い血統だ。更に生肉の味を、生き血の味を覚えて、無慈悲な戦士へと教育された。   戦場では敵の血を欲して、味方ですら恐れる程の武神ぶりを発揮した。傷を負った仲間を足手まといだと切り殺す冷徹さと、戦で両手両脚を切り落とされても敵の首に食らいつく獰猛さを持つ。それが黒狼の戦士だと謳われた。 同じ狼族の兵士でも、黒狼だけは異質な存在だった。貴族や市民には『野蛮だ』『ケダモノ』だと嫌われていた。 英雄でありながら、野蛮だと忌み嫌われる。理不尽な視線を受け続けた。 アルは10歳の時には少年兵として戦に出た。本来なら戦場に出るのは16からだ。6年も早かった。 壮絶だった竜族との戦いは狼族が勝利した。竜族どもはハイランドへと撤退していった。父は竜族との戦いで命を落とした。父の事は誇りに思っている。国の為に戦う事も。 だが、幼い頃の事を思い出す度にアルの胸は苦しくなった。黒狼としての宿命だ。戦士として生きるしかない。 それでもウサギのユキの思い出は死ぬほど苦い薬湯のように、いつまでもアルの喉元に後味の悪さを残していた。

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