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第2話・蕣―あさがお―

 朝は生きている限り、必ずやってくる。閉じた瞼の裏に明るい光が差し込み、春菊は目を開けた。  すると、縁側に続く真っ白い障子に、部屋を隔てるための(ふすま)が見えた。十畳もあるここは、ひとりで生活するには広すぎる。この部屋は、春菊が大好きなあの人に身請けされて二週間、ずっと見続けている景色だった。  ただひとりきりで……。  いつもの日常であるならば、春菊はひとりで迎える朝を寂しいと思うはず。それなのに、今日はどこか気持ちが清々しい。これはいったいどういうことだろうか。 春菊は考えるものの、それでもその気持ちに思い当たるような節もなく、気のせいだと思った。  だって、病弱な春菊の立場はなんら変わらない……。  今朝方、春菊はとても幸せな夢を見た。ずっと想い続けていた、匡也(きょうや)に抱かれ、愛を告げられるという夢を――……。  しかし、あれは現実ではなく、ただの夢にすぎない。妙に現実味を帯びたように感じたのもただの気のせいだ。  そう思うのは、隣に彼がいなかったし、それに服や寝具も乱れた形跡もなかったからだ。  それに、病弱で、娼妓であるはずの自分は、唯一得意とされる夜伽さえも何も知らないのだ。そんな役立たずの娼妓に、いったい誰が、『愛』を告げてくれるだろう。  あれは夢で、ただの仮想だ。  そう言い聞かせるのに、なぜかそれを受け入れることができない自分がいた。  昨日の昼間、匡也の母親に告げられたこと――『さる立派なお屋敷のお抱え医師になるお声がけ』があるのならば、絶対に縁談の話をすすめるはずだ。彼はそうしていい奥さんを迎え、幸せな家庭を築く。  色子を囲っていると世間に知られれば、匡也の立場は悪くなる一方だ。彼に身請けされたまま、ここに残れば、自分は邪魔になる。  一刻も早くここから出ていかなければ、と、そう思った昨日――。夜中にこっそり抜け出して、川で命を落とそうと考えた。  だが、結局は匡也の屋敷で朝を迎えている。 ――ということは、昨夜はきっとあまりのショックで泣き疲れて寝てしまったんだろう。 だから夜中、川に行ったことはきっと夢の中の出来事だ。 春菊は、期待してはいけないと、匡也と夜を共にしたあの出来事が夢だと自分に言い聞かせる。

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