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episode.3-2

普段は手を付けない無糖銘柄のボタンを押す。 焦げ茶色の液体が紙コップの上から注がれた。 「ん」 「…恐れ入ります」 受け取ったウッドが会釈し、2人で人気の無い廊下を歩きがてら、珈琲を啜る。 「今朝、サーと久し振りに話が出来ました」 萱島は寸分の乱れも無く伸びた背筋を見上げた。 「そして、貴方にこれを」 「俺に?」 やけに丁重に仕舞い込んでいた封筒が手渡される。 萱島は立ち止まり、紙一枚程度が封入されたそれを眺めた。 「辞表です」 淡々とウッドが告げた。 萱島は驚愕に首を擡げた。 「社長と副社長が中々捉まらず…お手数ですが、主任から渡して頂けませんか」 「…これは…俺が話しても無駄か?」 ウッドは瞑目して首を振る。 「主任、サーはもう限界なんでしょう。私はこれ以上苦しめる事は望みません。以前患って手術した肺も悪化して、このまま放置すれば命に係る。どちらにせよ私から、いずれ申告するつもりだった」 この男にしても苦渋の決断だったのだろう。 それ以上は追及せず、萱島は了承して封筒を懐へと仕舞った。 「今、我々は二分化しています。行き場が無く残る者と、サーの居ない此処を去ろうとする者と…」 「お前は?」 「私めは責任ある立場だ、おいそれと逃げる事は出来ません」 気付けば普段は立ち入らない箇所までやって来ていた。 やけに窓の大きな、奇妙な一室が目を引く。 萱島の視線に気付き、ウッドはふと話の中心を動かした。 「主任は…1年前の件は御存じで?」 「いいや」 部屋の角がパーティションで区切られていた。 照明は無いが、隙間から液晶表示の灯りが漏れている。 「…10月でした。突然待機所に警告音が鳴り響いた。私は部下を集め、慌ててサーと共に上へと走りましたが、いきなり視界が粉塵で覆われ思わず身構えた。事実、直ぐに不明瞭な視界で撃ち合いになり、5人の調査員がその場で命を落とした」 萱島はウッドの淡然とした回想へ聞き入る。 平穏な日々に降って湧いた予想外の悪夢。 今は微塵も名残の無い、真新しく改装された廊下が広がっていた。

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