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extra.2-3
陽の落ち始めた時分、萱島はピントの合わない視界に顔を顰めていた。
やっばい、見えなくなってきた。
良く良く考えてみれば最後に布団に入ったのはいつだろう。
(3…いやその前…?)
忙しいのは喜ばしい事だ。
だがそうは言っても視覚情報が入らないのは参る。
先日まで副社長…等と憐れんでいた萱島だが、気付かぬ間にすっかり社畜量産システムに犯されていた。
「萱島さん、もう良いですよ」
突然、PC画面を戸和の手が覆う。
萱島が飛び上がらんばかりに驚いた。
恐る恐る振り向くと、頬杖を突いた部下が平静な顔で此方を見ている。
「な…何だよ」
「後やって置きますから、仮眠室行って下さい」
目を瞬き、台詞を頭で反芻した。
表情を伺えど、既に何ら怒気は感じられない。
「いや…戸和、お前…」
「何ですか」
あのシカトは何だったんだ。
言いたい事はごまんとあったが、結局萱島が零したのは一言だけだった。
「…もう怒ってないんですね」
「端から怒ってませんよ。彼もただの脳震盪で済んだ様ですし」
さっき見てたメールはそれか。
何だろう…解決したのは良いが、何処か釈然としない。
「俺未だ途中だから、後で行くわ」
「今行って来て下さい」
「眠くない」
「…萱島さん」
まるで駄々を捏ねる年下を諌める様に、戸和は優しい譲歩まで持ち出す。
「素直に休んでくれたら、今度我儘の一つくらい聞いてあげますから」
「え、あ…そう?」
みるみる萱島の瞳に生気が戻った。
つくづく単純な人間だ。
「…明日のお昼一緒に食べてくれるなら」
「それだけで良いんですか?分かりました空けておきます」
「待て…誓約書書けよ、お前会議だとか言ってまた…」
「さっさと寝て貰えますか、もう其処のソファーで構いませんから」
次第に部下の目つきが怪しくなってきた。
萱島はもう素直に頷く他無かった。
ネクタイを引き抜き、直ぐ背後のソファーへと転がる。
妙に目が冴えてしまった。
目前で姿勢良くキーを叩く部下を眺め、萱島は寝返りを打つ。
「戸和くん…寝られない」
「……」
「…寒い」
上から何かが降って来た。
拾い上げると、相手がいつも羽織っているパーカーだった。
もう振り返りもしない後ろ姿を見やり、萱島はつい相好を崩す。
身体に纏った上着は彼の、清涼で落ち着く香りがした。
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