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episode.4-11

じわりと甘みが広がる。 枯葉が足元をさらさらと流れる。 (穏やかだ、とても) なのに指先は焦燥に揺れない。 襲い来る乾きが姿を見せない。 驚く程満たされた時間。 珈琲を手に、再び相手を見上げた。 綺麗な黒曜石の瞳と視線が合った。 「…本当にどうしたんですか」 「え?」 「お腹でも痛いんですか?」 呆れと心配の入り混じった表情が向けられた。 ああその顔好きなんだよな。 自然に湧いた感想へ、我ながら身悶えしそうになる。 いやそう、その好きでは無い。 「な、何言ってんだ…別にいつも萱島さんはこんなんだろう」 「萱島さんはいつもなら、俺の膝に勝手に寝転がって競馬を見始めてます」 「そん…」 萱島は思わず絶句した。 そんな事してましたっけ。妙な汗を背中が伝った。 因みに彼は意識していないが、座る距離も常の4倍は開いていた。 いつもの自分など覚えていなかった。 そもそも話す時、何処を見ていたんだったか。手のやり場は…。 次第に萱島は落ち着きを失った。 1人勝手に緊張感に包まれ、耐え切れなくなるや突如その場で立ち上がった。 「よし帰ろう、もう夕方だ」 部下は当然、不思議そうに目を瞬いている。 「…そうですね。送ります」 「ば、馬鹿…お前は休日まで気を使うなよ。早く帰ってお休み下さい」 「ちゃんと1人で帰れるんですか?」 「帰れる。一体何だと思ってるんだ」 戸和は空気を読んでその答えを仕舞った。 帰りは前を率先して進む上司を訝しげに見やる。 何か急ぎの仕事でもあったのか。 正門を潜り、せめて駅までは送ろうとして、それすらも断られた。 良いから帰れとばかりに、萱島は相手を駐車場の方角へ追いやっていた。

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