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episode.4-12
「では…此処で失礼します」
「ああ、今日はありがと。久し振りに楽しかった」
ただ歩いただけで大袈裟な。
戸和が押し黙る。逆光で笑う萱島はその実余裕もなく、早々と背を向けていた。
大学から遠ざかり、部下の姿が見えなくなる。
再び俗世の喧騒に戻った中、やっと留めていた重苦しい息を吐いた。
(情けない)
1人逡巡している自分が。
明日からの動向を、決め兼ねている思考が。
認めたくない。
認めたくはないが。
すっかり身動きが取れなくなってしまった。
振り返る事すら出来ず、只管に萱島は舗装された道を進んだ。
夕焼けの眩しさに地面を向いた。
電車の時刻表を確認しようと携帯を取り出した。
(不在着信6件…)
通知を開いて顔を顰める。
発信元は全て同じ。掛け直す価値も無い。
しかし無視を決め込もうとするや、また携帯が鳴り響いた。
「…出なきゃ良い話なんだけど」
分かっていながら萱島は応答ボタンを押した。
スピーカーから久方振りにその声を聞いた気がした。
『――よう萱島、御無沙汰じゃねえか』
クソ谷め。
断わって置くが、萱島はこの男を一度も恋人と認めた記憶は無い。
『面白いものを見つけたんだ。いつもの店まで出て来いよ』
「良かったな。1人で遊んでろ」
『…小せえなあ…お前の事務所。トラックでも突っ込めば解体業者要らねえな』
そうそう、その救い様の無いゴミっぷり。
いっそ清々する。
『急げよ、お前も気に入ると思うぜ』
ねっとりと抑えられた霧谷の声が這う。
萱島は無言で通話を切り、行く先を変えた。
本当、お前の様なクズは余計な気を使わなくて済むよ。
舌打ちをし、萱島は昔の表情を取り戻して脚を速めた。
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