92 / 186
episode.5-10
末尾の一文を目にした瞬間、弾かれた様に立ち上がっていた。
その姿を捜して彷徨い、扉を開けて走り回る。
「萱島」
リビング、キッチン、部屋
バスルーム
何処にも居ない。
恐らくそれ程時間は経っていない。
屋内を見限り、玄関へと急ぐ。
鍵が開いていた。
ドアノブを抉じ開け、扉を向こうへ押しやった。
本郷の視界、火事場の如き夕焼けが飛び込んだ。
一面の赤が広がり、原色の威力へ目が眩む。
染まり切った廊下に、萱島は居た。
手摺りに腰掛け、息を飲むほど美しい空を前にして。
「馬鹿、危ないから…」
姿を認めた本郷が肩の力を抜く。
手を差し伸べるが一瞥もせず、相手は未だ頭上の大海を見上げていた。
夕刻の、肌寒い風がシャツを巻き上げる。
溶けそうな輪郭。
本郷の背筋を、不意に悪寒が駆け抜けた。
「降りて来い」
殆ど懇願に近かった。
声は届かず、萱島は更に手摺りへ力を籠める。
飴色の瞳が街並みに落ちる。
風が、勢いを増す。
この青年は、飛び立とうとしていた。
鳥でも無いのに、この綺麗な空へ幸せを夢見て。
理解した途端、本郷の右手が上着へ伸びた。
そしてリボルバーを引き抜くや、自身の頭へと銃口を向けていた。
「…行くのか?」
一体何をしているのか。
振り返った萱島の表情が凍り付く。
「お前、隠し事しないって約束したのにな」
明らかな動揺の色が走った。
小さな心臓が、キャパシティを超えて暴れ回る。
どうして貴方まで此方へ来るのか、意味が分からない。
やめろと退けようとして、声が出なかった。
(自分の事ならさっき、全部伝えた)
拙くも紙に書き出した。消える理由には事足りる筈だった。
――兄ちゃん!
路地裏で叫ぶあの日の少年、その後ろ姿。
そして銃を手渡した黒川と、蹌踉めきながらも追い掛けた彼の車。
現在に至るまでの日々が、走馬灯の様に流れ込む。
(そんな、人を嘘つきみたいな目で)
過去には辛い件など、数えきれないほど存在したのに。
今どうしてか、貴方のその視線が最も痛い。
萱島の首筋を汗が伝い落ちる。
ぐっと両手へ力を込める。
付随して、本郷がトリガーを傾けた。
やめて。
惑い、今日も身動きが取れず固まる。
涙に溺れる萱島の視界、突如巨大な影が舞い込んでいた。
ともだちにシェアしよう!