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episode.5-13
車のドアを開ける。
懐かしい景色に、思わず目を眇める。
「…本当に此処で良いんだな?」
ハンドルに身を預ける本郷が問うた。
窓の隙間から、萱島は大きく頷いた。
了承した車が走り去る。
ネクタイの位置を整え、息を吸う。
社員証を翳してエントランスを潜り、薄暗い廊下をゆっくりと歩く。
初めて此処に来た日の記憶が浮かんだ。
灯りの少なさに眉を寄せ、出向に不平を募らせていた自分。
考えている間にも目的が迫り、緊張に動悸が早まる。
ジャケットを直し、何時の間にか習慣になっていた進路を過ぎた。
メインルームの扉が見えた。
躊躇すれば其処で脚が止まる。
拳を握り締め、開いたドアから勢いだけで踏み出した。
「――主任」
佇む牧が顔を上げて此方を見た。
胸がつかえ、困惑する。
第一声が分からない。
焦燥感が塞ぎ、喉が狭まる。
「ぷっ…何すかそのツラ」
牧は軽く噴き出した。
予想外の反応に萱島は面食らった。
「…俺、今忙しいんで。アイツに構って貰って下さい」
背中を押される。
あしらわれ、驚いて部下を見やる。
彼はもう黙って口端を上げ、早く行けとばかりに仕事へ戻ってしまった。
腑に落ちないまま追いやられ、進む傍ら間宮を見つける。
矢張り微笑む部下は物も言わず、同様に肩を押す。
萱島は示された先を見据え、ぐっと眼の奥へ熱を募らせた。
以前と何ら変わらない。
背筋の伸びた後ろ姿。
静かに書面を見据える青年が、其処に立っている。
「…戸和」
相手が視線を上げる。
言うべき事が多分に出て来た。
迷惑を掛けて申し訳なかった。
連絡も無しに席を空けてごめん。
どうかまた宜しくお願いします。
花を、有り難う。
余りにも多くが吹き出して真っ白だ。
勝手に追い詰められた現状。
何も言えない口元を、零れた感情が伝い落ちていた。
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