157 / 186

episode.8-11

「……パティ?」 まさか中に。 主人が居るとでも言うのか。 逡巡し、門の脇のインターホンを押したがどうも壊れていた。 呼び掛けるにも庭が広大過ぎる。 “――後に悔やむくらいなら” 悩む萱島へ、部下の台詞が蘇る。 そうだこの不安が杞憂かどうかなど、後にならなければ分からないのだから。 「…処罰はなんなりと」 萱島は門を飛び越え、濡れた芝生を踏んで走り出す。 古ぼけた木造の扉。表札も何も無い。 仕方なしに目前の扉を叩こうとして留まった。 悟られない方が都合が良い。 庭の様子からして、使用人が居るとは考え辛い。 幸い鍵は外されていた。 最新の注意を払い、萱島は薄い隙間から身を滑らせた。 足音を殺し、照明の灯る道を奥へと突き進む。 一体何をやっているのか。 正気に戻れば恥ずかしい事この上ないが、出処不明の使命感に突き動かされる。 傍ら、萱島は不意に話声を感知した。 息を止めて耳を欹てた。 奇しくも、落ち着いたテノールは雇用主の声で相違無かったが。 (本当に居たのか) 自分自身驚きつつ、どうにか開けた方角へ首を伸ばす。 天井が馬鹿に高い。 リビングらしい一室で、どうやら件の研究者と2人対面していた。 社長は此方に背を向けていた。 手元には繊細な柄のティーカップ。 一先ずその姿に安堵する。 然れど何故、電話に出ない。 ぎりぎりの角度で、更に覗き込む。 社長の対面に座す男は、如何様な人間なのか。 じっとディティールを追い、その瞳に映した。 瞬間。 「…――あ」 右目が猛烈に傷んだ。 それは、その映り込んだ姿は。 角膜に焼き付いたドナーの記憶と。 時折ちらつき、己を見詰める白衣の男と完全に重なっていた。

ともだちにシェアしよう!