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episode.9-5
「貴方達を尊敬しています。上司として、人として。正直身に余る言葉ですが、未だ俺に期待して下さるなら…それに応えたい」
戸和が腰を上げた。
ベッドから身を離し、此方に歩を詰めた。
「未だ信用して貰えますか、俺を」
「勿論」
神崎がいつもの、見慣れた不穏な笑みを湛える。
傍らの2人は何を今更と言いたげに明後日を見た。
「有り難う、和泉」
握手を交わす。
話は纏まった。
穏やかな空気が流れるものの、やり取りを見ていた萱島はふと違和感に首を擡げた。
「…和泉?」
「ああ、名前。コイツの」
しれっと告げる社長から解雇通知を引っ手繰った。
宛名を探し当てて字面を追う。
「…“Izumi Seto”」
萱島は紙面から青年へと視線を移した。
気にはなっていた。
何せ、履歴書にも何処にも彼のファーストネームが見当たら無かったのだから。
どうやら今まで呼んでいたのは偽名だったらしい。
(せと…瀬戸、和泉…戸和、あ、そう)
合点はいったものの複雑だった。
「普通な、契約の時に聞くだろ、履歴書に書いてなかったら。それをこの間抜けな経営者が…」
「るっせーな、あの時はそれ所じゃなかったんだわ」
「別に本名でも良かったんですが、あの男が妙な強迫観念に取り憑かれてまして」
「ああ、あの糞白衣野郎?」
「あの変な眼鏡な。俺めっちゃ殴ったわ。多分今、寝屋川がもっと殴ってる」
「…見てきます」
死んだら元も子もない。
萱島は嘆息して出口へと向かった。
去り際、僅かに黒い双眼と視線がぶつかった。
気恥ずかしい様な、非常に勝手な居心地の悪さを覚える。
そう言えば映画に行く約束をしていた。
微塵も関係の無い事を思い出した、萱島の足取りが遅れ、不意に壁にぶつかっては蹌踉めいた。
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