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【4】

 駈と輝流が初めて交わった日から三日目の夜。大きく発達した低気圧の接近で未だに不安定な天気が続いていた。  輝流の寝室に出入りを許されているのは、執事長である駈はもちろんのことだが、邸の中でも限られた者だけだ。  それなのにこの三日間、誰一人としてその部屋をノックする者はいなかった。  学校にも行かず、駈と籠りきりでセックスをしている主に不信感を抱く者はいないようだ。駈とて、会社の経営に携わっているのだから秘書からの連絡があってもいいように思える。  しかし、誰もこの部屋には近づかなかった。  闇に支配された部屋が一瞬眩い光に照らされ、ベッドにうつ伏せになったままの輝流の艶めかしい体を浮かび上がらせる。  雷鳴が響き、周囲の木々を震わせる。その轟音にも反応を見せることはなかった。  強くシーツを掴んだ手首には縛られた痕が薄っすらと残っていた。肩を震わせて嗚咽を漏らす輝流の背に重なるようにして、腰を深く突き込み低い呻き声をあげたのは駈だった。  乱れた黒髪は利発そうな額を覆い、その間から覗く野性的な瞳は夜目麗しいブルーに輝いていた。  わずかに開いた口元から覗くのは鋭い牙――そう、その姿は狼そのものだった。  輝流は自分の中に大量に注がれた精液がジワリと広がり、それが何かに吸収されていくような気がして身を震わせた。 「――駈」  掠れた声で従者であったはずの男の名を呟く。  三日前の発情直後に比べれば思考もだいぶ落ち着き、少しだけ冷静さを取り戻してはいたが、輝流は自身に起きている現実を未だに直視出来ずにいた。  信頼をおいていた執事に犯され、精を注ぎ込まれる当主……。  これが一体何を意味するというのだろう。ただの性処理の道具として使われているとしたら、このタイミングではなくもっと早い時期に起きていたかもしれない。  朧げな記憶の中で「すべて話す」と言った彼の声が蘇る。  汗と精液で濡れた輝流の背中に唇を押し当てて荒い息を繰り返す駈に、彼は顔を上げることなく言った。 「――これが、運命なのか。俺の……運命なのか?」  チュッと音を立てて吸った場所に焼けるような痛みを覚え、輝流は唇を震わせて小さく吐息した。  そんなわずかな痛みにさえも敏感に反応してしまう体が疎ましい。  強引な抱き方ではあったが、彼の愛撫もキスも、そして中を擦りあげる動き一つをとっても不思議と苦痛を感じなかった。  幼い頃から側にいて、一番の理解者であった彼の事は嫌いではなかった。むしろ、大好きだったと言ってもいい。  だが、それが恋愛要素を含んだ『好き』だったのかと問われれば上手く答えられない。  自身のことは後回しで、何事も輝流の事を最優先に考え、両親よりも大切に接してくれた駈……。  彼がふっと顔を上げる気配を背中に感じて、輝流は溢れた涙を誤魔化すように羽枕に顔を押し付けた。 「――運命を呪いますか?」  掠れた低い声に、まだ繋がっている場所がキュンと締まる。  駈の射精は人間とは思えないほど長かった。達した後でも、まだ注がれているのが分かる。  それを腹の奥で感じながら輝流は声を震わせた。 「どうして俺……なんだよ。こんなやり方、あり得ないだろ……っ」  不意に項に熱い息を感じて、言葉を呑み込んだ。  乱れた髪を大きな手が優しく撫でる。 「貴方しかいなかった。――この答えでは許して貰えませんか?」 「近すぎるんだよ……お前の存在が。好きとか……分かんないよっ」  ハァハァ……と興奮を抑え切れない息遣いが断続的に続く。普段は禁欲的で、外見からは全く想像もつかない駈の本当の姿を見てしまったような気がして、輝流は眉をきつく寄せた。 「三日前、お話出来なかったことをすべてお話いたします。ですが、その前に……貴方との契りを交わしたい」 「何、言ってんだよ……。契りって何? 話が先、だろ……あぁ、あ……っ」  首筋に顔を埋めた駈が舌先で柔肌を舐め上げると、自然に声が漏れてしまう。  トクン……と心臓が高鳴り、一度は治まったはずの熱が再び体に宿り始めた。 「熱い……。体、熱い……っ」 「ほら、また私を誘う。甘い香りが強くなった……」 「も、いや……ぁ。俺は……誰のモノにもなら、な――っ」  言いかけた言葉を遮るように輝流の首筋に硬く鋭いものが押し当てられた。その冷たさに全身が粟立つ。 「そうですね……。誰のモノにもならないでください。輝流は私だけのモノなのですから……」  首筋に感じる危機感とは裏腹に、穏やかな声音で囁く駈の声に肩の力が抜けた瞬間、首筋に鋭い痛みが走った。 「あぁぁぁ……っ!」  耳元で聞こえる荒い息遣いと躊躇なく皮膚を突き破る牙の感触に、身を強張らせてシーツを手繰り寄せた。  輝流の最奥を強烈な圧迫感と共に支配していたモノをきつく食い締める。  質量を増しながら脈打つそれは、何度達しても力を失うことのない獣の楔。 「んあっ……あぁ……ん」  栗色の髪を乱し、小刻みに痙攣を繰り返す体を力強い腕が抱きしめる。  この状況に流されて委ねてはいけない。まして、愛してはいけない者……。  駈の影を振り払おうとすればするほど、その姿は鮮明になり輝流を支配する。それなのにイヤだと完全否定出来ない自分がいる。  後孔に穿たれたままの楔、肌に触れる温度、そして首筋の生々しい痛み――その熱が心地よくて堪らない。  何物にも代え難い安心感と温もりに自然と声が漏れる。それは輝流の内に秘められていた真実の声なのかもしれない。 「あ、愛して……。俺だけを、愛して……っ」  再び建物を揺るがす轟音と共に閃光が夜空を横切る。  光に照らし出され、妖しく揺れる二人の影がレースのカーテンに映る。その姿は二頭の獣が交わる姿、そのものだった。  ***** 「――まだ、痛みますか?」  シャワーを浴び、バスローブを羽織ったままソファに倒れ込んだ輝流に、駈はミネラルウォーターの入ったグラスを差し出した。  彼の方はシャワーのあと、ラフな格好ではあったがすぐに着替えを済ませていた。  黒い細身のパンツに白いシャツ。大きく開けられた襟からは鎖骨が見え隠れしている。  首筋から胸元まで薄っすらと鬱血した痕がいくつも残っていた。それは輝流も同様で、彼の場合はほぼ全身にくっきりと残されていた。 「痛いよ……」  グラスを受け取って、ムスッとしたまま首筋に手を当てる。  そこはセックスの最中に駈が思い切り噛みついた場所だった。出血はしていないが、深く食い込んだ牙の痕が生々しい。  グラスを煽りながら上目遣いに駈を睨む。四日目の早朝、輝流の発情期は終わった。他のΩに比べれば短期間だといえよう。  背凭れに掴まりながら体を起こした輝流は下腹部の重みに顔を顰め、浴室で散々掻き出したにも関わらずふとした拍子に後孔から溢れる精液の感触に唇を噛んだ。  元来真っ平らな輝流の下腹部がポッコリと膨らんでいる。体内に出された駈の精液が留まっている証拠だった。 「――まだ、掻き出し方が足りなかったみたいですね」 「うるさいっ。出したお前が言うな」 「私としては、一滴でも零さないで頂きたいと思うのですが」 「三日三晩犯され続けて、腹の中に男の精液溜め込んでるって、どんな状況だよ……。正直、今……お前の顔は見たくない」  まだ湿ったままの栗色の髪をかき上げながら大袈裟にため息をついた輝流に、駈は表情一つ変えることなく言った。 「私は貴方を見ていたい……。このまま時間が止まればいいと思っています」 「なっ! 何、言ってんだよ」 「――やっと、貴方と結ばれた。これでもう、何も隠すことはなくなりました」  駈はゆっくりとした動作で輝流に近づくと、不機嫌極まりないその顔にそっと手を添えて顔を傾けながら唇を重ねた。  水に濡れた輝流の唇の輪郭をなぞる様に舌先で舐めてから、何度も啄む。  心地よさに目を閉じた輝流もまた、無意識に舌を伸ばして駈を求めていた。  チュッと音を立てて離れた駈の唇を恨めしそうに見つめる自分に気付き、慌てて顔を背けて手の甲で乱暴に拭った。 「――お前が隠してたこと、全部話せ。俺はこの家の当主なんだぞっ」  吐き捨てるように言った輝流に、駈は口元を綻ばせた。 「そういう勝気なところも、突然の発情に戸惑い涙ながらに助けを求める顔も、ベッドの上で細い腰を揺らしてあげる声も、甘えてキスを強請って伸ばす舌も……。これだけは忘れないでください。貴方の全てを私は愛しています」  自分の痴態をすべて見られていた事に猛烈な羞恥を覚え、輝流は頬を染めたまま小さく舌打ちした。 「勝手にしろ……」 「貴方が『愛して』と言ったんですよ? 主の命令は絶対です」 「そ、そんなの覚えてない! 誰がお前の事なんか……っ。いいから、さっさと話せよ!」 「かしこまりまりました。では、すべてお話させていただきます」  テーブルの上に置かれたシャンパングラスを手に取り、一気に煽った駈は妖艶な目で輝流を見つめると、唇をペロリと舐めた。無駄のない動きで、彼の向かい側のソファに腰掛けると、背筋を伸ばし長い脚を組んで肘掛けに腕をのせる。  その姿は現当主である輝流よりも当主らしく、覇者の貫禄さえ感じられる。  美しい野獣のような彼の姿に輝流は息を呑んだ。 「これからお話することは全て真実。嘘偽りなく貴方に話すことを誓います……」  胸に手を当てて、わずかに目を伏せた駈の宣誓が終わると共に、輝流の中で新たな運命の歯車が動き出すのを感じた。

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