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【5】
二十七年前――。
国内でも稀有な狼一族の血を継ぐ野宮家に男の子が生まれた。国が義務付けた出生後の検査で両親と同じα性であることが確認され、正式に野宮家の後継者として承認された。
しかしそれ以降、野宮夫妻には子宝は授からず、一人息子として大事に育てられたのが野宮 駈 だった。
駈が生まれて間もなく、当主であった隼刀の父が逝去し、野宮家の長男であった隼刀が後継者として野宮家の全てを相続した。それを快く思っていなかったのは隼刀の弟である晴也だった。その時すでに春日井家の人間となっていた彼は、父親の遺書に自分への遺産は何もないと記されていたことに憤り、何かにつけて野宮家を目の敵にしていた。
晴也の粘着質で陰湿な嫌がらせが続き、このままでは生まれたばかりの駈にも被害が及ぶと考えた隼刀は、野宮家の執事長を務めていた日野章太郎に駈を預けることを決めた。
野宮グループ当主の名を使って戸籍を秘密裏に改ざんし、関係者の口封じを徹底した。
駈は代々執事として仕えて来た日野家の長男として、執事見習いとなり野宮家に出入りする事になった。
彼は実の父親である隼刀の能力を受け継ぎ、人間でありながら狼の血を持つ『人外』として生きることを運命づけられ、高い能力と対応力を持つ美しい少年へと成長していった。
執事見習いとはいえ、学校は一流私立の一貫校に通学し、成績は常にトップクラスだった。
そんな駈が十歳の時、日野夫妻の間に男の子が生まれた。夫婦ともにα性であれば間違いなくα性が生まれる。
誰もが分かり切った答えを待つなか、出生後の検査報告で意外な事実が判明した。
輝流と名付けられた男の子は、遺伝子の突然変異でαでありながらΩの性を併せ持つ特異体質だという。
通常、出生時Ωだったものは早ければ十二~三歳頃から発情期が始まる。だが、彼の場合は全く予測が出来ないという医師の見解だった。
そしてもう一つ、彼の血には隠された秘密があった。
野宮家は国内で絶滅したと言われている狼の末裔だ。その純血統を守るには相性のいい狼との交配が必要になる。その血筋を見つけるのは容易なことではなく、たとえ相手が見つかったとしても性格の不一致や相性の問題もあり、なかなか婚姻に漕ぎ着けられないのが現状だった。隼刀の場合は妻である莉央 と大学時代に運命的な出会いで結ばれた。
野宮家専属の有識者を集め、血統を遡って相性のいい血筋を探すことになったのだが、今となっては途絶えてしまっているものがほとんどで、現存しても純血統というレベルには達しないという結論が出された。
駈の相手が見つからなければ純血統の血は守られることはない。血が薄まれば野宮家はいずれ衰退し、その力も資産も失われていくことは目に見えている。
齢十歳の駈に結婚相手の話などしても雲を掴むような感覚でしかなく、本人はそう真剣になることもなかった。
そんな時、日野家に生まれた輝流の血が野宮家と相性のいい血であることが判明する。日野家も元々は狼の血筋を引く家柄であったが、長年の交配で薄くなってしまった血は元には戻せなくなっていた。
なぜ、輝流がその消えかけた血を持って生まれたのかと言えば、いわゆる『先祖返り』というもので、それも相まって体質が異なったと推測された。
こんな身近に相性のいい血を持つ相手がいるのならば手放すことは絶対に出来ない。そこで、晴也の嫌がらせが収束したタイミングで、彼を大切に保護するべく野宮家の長子として籍を入れた。
そうすれば、章太郎だけでなく野宮の目も届きやすくなり、尚且つ許嫁である駈も側にいることが出来る。
何があっても輝流は守らなければならない。隼刀たちの強い願いと共に成長した輝流は女性らしい面立ちを持つ勝気な男の子となった。常に行動を共にしていた駈は、兄のように慕う輝流にいつしか恋心を持つようになった。親同士が決めた許嫁という枠を超え、純粋に彼を守り、愛したいと思うようになった。
いつ発症するかも分からない発情期に備え抑制剤を常備し、いつでも目の届く場所で見守っていたが、晴也の手が輝流に及んでいることに気付き警戒を強めていた。そして、章太郎は家令となり、駈は輝流専属の執事として野宮家に貢献した。
晴也はこのからくりに気付いてはいない。ただ純粋に野宮家の長男である輝流をいつか抱いてやろうと下心を抱いていた。それは彼の中で、兄である隼刀に対する復讐という意味も含まれていたのかもしれない。
彼がいなくなれば野宮家の後継者は自分になると考えている。財産も権力も我が物に出来るチャンスを息をひそめて伺っていた。
それが今になって具体的な行動となり、しかもタイミング悪く輝流の発情期発症と重なってしまった。
輝流を消す……という選択肢が消え、彼と婚姻を結びすべてを手に入れるという作戦にシフトチェンジした。
そうすれば、美しい輝流を自分好みに調教し、好きな時にセックスすることが出来る。晴也の望む全ての欲を満たすにはこれが最も理想的だ。しかし、この国の法律では直系の叔姪婚 は認められていない。だが、野宮の力を手に入れたら、それも不可能ではなくなる。
事実、駈の戸籍を改ざんした経緯があるのだから……。
許嫁である輝流が発情期を迎え、子を成すことが可能な体になった時、それまで捻じ曲げていた戸籍を修正し、駈が野宮家の当主として正式に彼を花嫁として迎えるはずだった。
しかし三年前のある日、野宮隼刀・莉央夫妻は交通事故で他界した。輝流の発情期を待つことなく、急遽、当主を決めなければならなくなったことは想定外の出来事だった。
一族会議の末、長子である輝流が隼刀の後継者として当主の座に就き、野宮グループの経営に関しては彼の側近である駈が携わる事となったのである。
正直、面倒な事になったと章太郎も駈も頭を悩ませたが、野宮家存続のためには一刻の猶予も許されない状況であった。
そして――輝流の発情期が訪れた。『運命の番』と呼ばれる相手に対して、首に噛み痕を残すことで所有物であることを示し、誰も手を出せなくする契りが必要となる。
噛まれた者は番った相手以外に欲情することはなくなり、また発情期が訪れてもその相手以外にフェロモンを発することはなくなる。だが、レイプなどで本人の意志とは関係なく体の関係を強要された場合、フェロモンの異常過多を起こし、発情期の期間が長くなるだけでなく、番った相手以外にも容易に発情し、見境なく体を開くようになってしまう。
噛み痕を残したからと言って安心は100%ではないということだ。
それに、輝流の場合は発情期にΩ性になることから妊娠も可能になり、初回の性交で体内に出来た子宮は死ぬまで消滅することはない。
互いが滅するまで愛し、愛され続けることが『運命の番』の絶対条件なのだ。
*****
輝流はただ黙ったまま話を聞いていた。
淡々と話す駈の方を見ることもなく、テーブルの上に置かれたグラスから水滴が流れ落ちるのをじっと見つめていた。
駈は輝流を『運命の番』だと認識した。だが、輝流はそれを素直に受け入れることが出来ずにいた。
野宮の血を絶やさないためだけに選ばれた花嫁……。それならば輝流でなくてもいいのではないか。
現代の医療技術は日々進歩を遂げている。輝流の血を使って遺伝子を操作し、駈にとって最適な『番』が人工的に作れるのではないか――と。
親同士が自分の知らないところで勝手に決めた結婚。それだけじゃない。後継者を生むためだけにこの体を犠牲にし、子を育てなければならないのか。
意図しない婚姻、出産……そして、近くにいた者たちの裏切り。
「――それが俺の運命、なのか」
ボソリと呟いた輝流に、駈は真剣な眼差しで彼を見つめた。
「昨夜と同じことを仰るのですね……」
「だって、そうだろう? 俺は騙されてたってことだし、お前と結婚して子供を作るとか……あり得ないし」
「あり得ない? どうしてそう思うんですか?」
「そういう感情とは違うんだよ……。俺はお前のこと好きだけど……何かが違う。世界中を探せば俺と同じ血を持つヤツがいるかもしれないし。まるで、野宮の跡取りを生むだけに生かされてるみたいで嫌なんだよっ。お前だってこんなことがなければ俺との結婚なんて考えもしなかっただろうし、いくら親同士が決めたことだって、自分の意志が優先されるんじゃないのかって……」
駈はわずかに目を伏せて、脚を組み替えると細く息を吐いた。
「――そう捉えられても仕方がないですね。でも、私にはあなたが必要。この野宮家にもあなたが必要なんですよ。もう、婚姻の解除は出来ません。後戻りは出来ないんですよ」
その言葉に、輝流は勢いよく立ち上って声を荒らげた。
「俺の意思は無視? じゃあさ、俺は繁殖用に囲われたメスってこと? 冗談じゃないっ。こんな噛み痕残して、ヤりたいだけヤリまくって、孕んで子供産んだらお払い箱なんだろ! そうなる前にこんな家、出ていってやる!」
脚がぶつかった振動でテーブルに倒れたグラスから水が零れ、じわじわと広がっていく。
それはまるで輝流の中で渦巻く不安や疑心に似ていた。ゆっくりではあるが確実に広がり、すべてを覆いつくして輝流を支配する。
いずれは疑心暗鬼に囚われ、誰も信じられなくなる日が来る。
「――ワガママも大概にしろ」
低く呻くような声は狼のそれに似ていた。普段は輝流に対して敬語を使う駈が突然言い放った言葉に、ビクンと肩を震わせる。
「お前の身体はまだ不安定で目が離せない。次回、発情期が来た時、いくら俺以外に欲情せずフェロモンも発さないとはいえ、その確証はどこにもない。お前の身体は生まれた時から俺のモノだと決まっている。今のお前には選択肢も決定権もない。それに、俺を求めて『愛して』と言ったのはお前の本能だ。元来惹かれ合う狼が相手に対して想う純粋な気持ち。それを否定するというのか……。狼は警戒心が強く愛情深い。嘘や出まかせの言葉などすぐに分かる。お前の中には俺と同じ狼の血が流れている。その血に従えばいいだけのことだろう」
いつになく鋭い視線を投げかける駈の黒い瞳が鮮やかなブルーへと変わる。
しなやかで畏怖を纏った美しさに輝流は目を見開いて息を呑んだ。
「それとも――俺では不満か?」
機転が利き、何でも完璧にこなす執事長でもある駈。彼に何度も助けられたことは否めない。
誰よりも大切に接し、どんなワガママでも聞いてくれた。
彼が持つ『愛情』と輝流の考える『愛情』はちょっと違っていた。
(この違和感はなんだろう……)
輝流の中で駈に対しての淀みがあり、その正体がハッキリ見えてこない。それが真実であり、駈の言う本能であるとすれば、この目で確かめる必要があるはずだ。
それまでは明確な答えは出せない。ただ――。
輝流はポッコリと膨らんだ下腹にそっと手を当てて駈に気付かれないようにため息をついた。
この中の精子が子宮内で着床し、妊娠してしまったらもう後がない。
Ωの発情期の着床率はほぼ100%と言われている。しかもαの精子は生存期間が長く、妊娠は不可避だ。
「――出て行ってくれないか」
「ん?」
「駈、この部屋から出て行ってくれ。一人になりたい……」
何を思い立ったのか、先程とは打って変わって落ち着いた声音で輝流が退室を促す。
発情期を終え、体力的にも精神的にも不安定になっている輝流の身を案じてか、駈は素直にその言葉に従った。
ドアハンドルに手をかけたまま、肩越しにわずかに振り返る。
「――御用があればお呼びください。輝流さま……」
いつもと変わらない穏やかな物言いでドアを開け、部屋を出て行く彼の背中を見送った輝流は、急いでバスルームに駆け込み、バスローブを脱ぎ捨てるとシャワーハンドルを力任せに捻った。
後ろに手を伸ばし、息を殺してまだ腫れている後孔に自らの指を突き入れると躍起になって精液を掻き出した。
「んあ……はぁ、はぁ……んっ」
敏感になった場所を指が擦れるたびに声が漏れてしまう。
駈の太い楔と根元の亀頭球を受け入れたそこは、すんなりと輝流の指を咥え込んだ。
「くそ……っ。妊娠なんか絶対にするもんかっ! アイツの子なんて……絶対に産むもんか」
曇った鏡にあられのない姿がぼんやりと映る。
その中で苦しげに眉を寄せ、声を押し殺している輝流はなぜか泣いていた。
シャワーヘッドから降り注ぐ湯が、その涙と後孔から次々と溢れ出す精液を排水口に流していく。
「運命なんて……クソくらえだっ」
栗色の髪から滴が落ちる。それを振り払うように何度もかき上げて、輝流はタイルに両膝をついて小さく叫んだ。
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