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A面 新米保育士 幸村稜馬 32歳

「幸村先生! また引き出し開けたまま!」  保育主任が耳元で叱責する。  子供たちに聞こえないように指摘してくれるのはさすがベテラン。ただ、些細な内容とあまりの頻度に、もしかして嫌がらせなんじゃないかと心が折れそうになる。  開けたままって、紙オムツの引き出しはほとんど閉まってるじゃないか。  僅かに浮いた滑りの悪い木製の引き出しの3段目を、仰々しく押し込んだ。 「幸村先生、今、たった5ミリでうるせーなーって思ったでしょ?」  3歳児を見ていた指導担当が声を掛ける。 「その5ミリの出っ張り、この子達よじ登れるから。指先が引っかかればなんでもぶら下がるのよ、あっという間にキャビネットの上。で、そこから手を伸ばして、あの天井の火災報知器の紐に触ろうとして……落ちます」  え!? 「それが子供。わかった?」  言うだけ言ってスタスタと去って行く。  ブラックと名高い企業に勤めていた僕は、一転して今月から保育士になった。通信講座で地道に勉強し、実習を経て保育士の資格を取ったのだ。  ところが、ど素人の未婚未経験新人男性保育士はなかなか採用してもらえず、巡り巡って雑居ビルにある24時間営業の認可外保育園に。ブラックな香りからは離れられない運命なんだろう。  まあ、もともと居酒屋チェーンで働いていた身だ。深夜勤務は身体が慣れている。今はまだ色々と指導を仰ぐ身なので、教えられる人がいる9時から5時が勤務時間だ。オムツだってミルクだってなんでもしたいのに、男性保育士に娘のオムツ替えをさせるな!と苦情が来るとかで、今日はトイレトレーニングが完了間際の3歳児を見ている。  先週、飛び込みでこの園に登録されたサイトウリョウマ君はとてもおしゃべりが上手で、今どきの幼児って怖いなと思う。 「リョウマ君、はじめまして。幸村稜馬です。僕も君と同じリョウマって名前なんだよ、よろしくね!」 「…リョウマせんせいって自分を呼ぶみたいで恥ずかしいから、ゆきむろ、ら、せんせい……ゆきせんせいって呼んでもいい?」 「もちろん!」  母親に置き去りにされた子だと聞く。その心を傷つけることのないよう、念入りに注意しなくては。  置いて行かれる絶望感……五年前の自分を思い起こしてしまいそうになる。  あの頃、僕は同性の恋人と暮らしていた。同じマンションで暮らすようになり、まもなく一年という頃、突然彼は出て行った。  年上の恋人が三十歳の前にして、何か悩んでいるのを見て見ぬふりしてきたツケだ。気付いていたのに何もしなかった。  置いて行かれた虚無感以外、彼のことを嫌いになれる要素を見出せないまま仕事に明け暮れ、気付くと自分も三十歳になっていた。途端に喧しいほど降って湧く外野の心配の声に、あの頃の彼も同じ思いをしていたのかもしれないと思い当たる。  故郷に戻って結婚して、という未来は僕には無い。漠然としたコノママジャイケナイ感を起爆剤に、資格取得を決めたのだ。 「ゆきせんせい、ぼくのひみつを教えてあげる。  ママが出て行ったの、ほんとはぼくのせいなの。ぼくがママを送り出したんだ」  無邪気に笑って内緒話を始めた3歳児には、不思議なほど親に捨てられた悲愴感は無い。泣いてばかりだった五年前の僕に、この逞しさを見せてやりたくなった。

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