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躾直し

犬塚は瞬時に身構えた。 ドアが開き、現れたのは竜蛇だった。 スマホを耳に当て、中国語で何かしら話している。まるで何事もなかったかのようにスタスタと部屋に入ってきた。 「……!?」 犬塚は戸惑い、次に苛立った。竜蛇はまるで犬塚の存在など見えていないかのように無視をして、平然と電話で話している。 「あ……」 犬塚が竜蛇を問い詰めようと口を開いた瞬間、竜蛇が腕を上げて掌を犬塚に向けた。 それだけで犬塚の口から出る筈だった言葉は止まった。 そして、優雅に人差し指だけを立てた。「少し待て」と言わんばかりだ。 思わず従ってしまったことに屈辱を感じ、犬塚の顔に血が登る。 竜蛇が通話を終え、スマホをスーツの内ポケットに納めた。いつもの上等なスリーピースのスーツ姿で、モデルのような佇まいをしていた。 「ごめんね、犬塚。少し揉めていてね」 竜蛇が犬塚に優雅に微笑みかけた。犬塚は竜蛇を睨みつけ、竜蛇は更に笑みを深めた。 「会いたかったよ。犬塚」 「何がだ! ずっと閉じ込めて、放置していたくせに!!」 言ってしまった後で、犬塚はすぐに後悔した。これではまるで…… 「寂しかった?」 「……」 竜蛇は嬉しそうに犬塚を見つめた。 「違う! 誰が……!」 「快適に暮らせるように配慮したつもりだ。顔色もいいね」 竜蛇は舐めるように犬塚の裸身を眺めた。すっかり慣れてしまったが、犬塚は一糸纏わぬ裸だ。今更ながら居心地悪さを感じた。 竜蛇が一歩、犬塚に近付く。 ハッとして、犬塚は下がった。 「鞭の痕も消えたな」 犬塚の頬が朱に染まる。あの日の屈辱を思い出したのだ。 「……殺してやる!!」 「いいね。お前に殺されるなら本望だ。」 竜蛇は優雅にジャケットを脱いで、ソファに放った。 「俺を殺せばお前は自由だよ。おいで、犬塚」 犬塚は身構え、竜蛇を睨みつける。 竜蛇は右脚を後ろにし、少し体を斜めにして犬塚と相対している。両手はダラリと下ろしたまま、唇には優美な微笑だ。 ───だが、隙が無い。 竜蛇は丸腰だが、踏み込む事が出来ない。 しばらく睨み合いが続いた。犬塚の顔に焦りが見えたとき、竜蛇が大きく一歩踏み込んだ。 瞬間、左に隙が見えた。 犬塚は身を屈め、俊敏な動作で足払いを仕掛けた。体格では竜蛇より劣っているので、地に引き倒し有利なポジションを取ろうと判断したのだ。 だが竜蛇は簡単に躱して、犬塚を蹴り上げる。 犬塚もすんでのところで躱し、体を反らせ回旋して体制を整えたが、遅かった。 「ッッ!?」 背後を竜蛇に取られた。肩をホールドされ、床に伏せに縫いとめられる。 犬塚は強い。それは間違いない。センスもいい。だが所詮は暗殺者だ。 ターゲットに忍び寄り、隙を突いて殺す。 標的と相対し、真向から挑むには、竜蛇とは経験値が違った。 竜蛇は武闘派ヤクザでもあるのだ。十代の頃から、肉弾戦の喧嘩に明け暮れてきた。組の頭である今でも鍛え続けている。 「犬塚。素直すぎるよ」 ねじ伏せた犬塚の耳元に囁いた。 「ちくしょう! わざと隙を作ったな!……ぐぁあッ!!」 ゴクっと鈍い音がして、竜蛇は犬塚の肩関節を外した。 竜蛇はもう一方の肩も取り、同じように関節を外した。 ───ゴキリ。 「……ッ!!」 声も無く、犬塚が身悶えた。 竜蛇は両肩の関節を外した犬塚の背を膝で押さえつけた。 両手の五指を犬塚の顔の両サイドに着き、ぐっと上から体重をかける。 「……ぐぅッ!!」 肺が圧迫されて呼吸ができず、横に向けた犬塚の顔が苦悶に歪む。だが、苦しげな声に甘い吐息が混ざっていることに竜蛇は気付いている。 ───痛みが、快楽と直結しつつあるな……。 犬塚が幼い頃にペドフェリアの金持ちに飼われていたことは知っている。 犬塚にとってのトラウマだろう。だからこそブランカを崇め、精神的に依存しているのだ。 犬塚の裸身には、いくつもの傷痕があった。命には関わらない程度の怪我を何度も負っている。 犬塚は自分の歪んだ性癖を自覚していない。指摘されても認めないだろうが。 だから『仕事で負った怪我』として、傷痕を作り続けているのだろう。 ───おかしな癖をつけているね。犬塚。 初めて抱いた時、セックスに関しても激しい嫌悪を見せた。だが、犬塚の肉体は憐れな程に快楽に弱い。 そんな心と体のアンバランスさに気付かずに、絶妙なところで均衡を保っているのだ。 「……ふむ」 犬塚の様子を竜蛇は冷静に観察した。 竜蛇は犬塚の日本人種特有の赤ん坊のような象牙の肌を気に入っている。先日の鞭も、痕が残るようには打っていない。 これ以上、犬塚の体に傷痕を作らせる気はなかった。 竜蛇はもう犬塚を手放す気はない。この癖も改めさせなくてはならない。 「っ……はぁ、はぁ……」 竜蛇は犬塚の背から退いた。圧迫から解放されて、せわしなく呼吸する犬塚を仰向けに返した。途端、犬塚が自由の効く脚で竜蛇を蹴り上げた。 難なく躱して、犬塚の足を掴んだ。 「悪い脚だね、犬塚。」 ───ゴクッ 「ぅあッ!!」 今度は骨盤から大腿骨を外した。 両の肩関節と股関節を外され、反撃することができなくなった犬塚は、目を見開いてハッハッと犬のように短い呼吸を繰り返した。 犬塚の精神は恐怖に満たされつつあった。 自分は無防備な全裸で、両肩両脚の関節を外され、完全に自由を奪われている。 優然と見下ろす竜蛇に恐怖した。ハッハッと呼吸が荒くなる。 また、あの時のように犯されるのかもしれない。 ───それだけは嫌だ! 「……嫌だ……嫌だ! 竜蛇!」 竜蛇は強硬状態に陥りつつある犬塚を観察していたが、ゆっくりと跪いて犬塚を抱き上げた。 「ッ!?……や、嫌だッ!……竜蛇!!」 犬塚はソファに寝かされた。三人掛けの上質な革張りのソファだ。 肘掛けに膝を引っ掛けるようにして、仰向けに寝かされていた。反対の肘掛け側には竜蛇が座った。 犬塚の恐れに反して、竜蛇は何も仕掛けてはこなかった。 部屋に持ち込んだノートパソコンや書類をローテーブルに並べて、何やら仕事をしているようだ。時折、紙の音とキーボードを打つ音が聞こえる。 しばらくして犬塚は落ち着き、呼吸を整えた。 今度は混乱してきた。てっきり竜蛇はまた自分を犯すのだとばかり思っていた。 ───何故!? 何が目的だ? いたぶるつもりなのだろうか? だが、現状は放置されているだけだ。 犬塚の存在など忘れたかのように、竜蛇は仕事に没頭しているようだ。不安と屈辱に犬塚の精神が混乱してきた頃、不意に竜蛇が犬塚に触れた。 「!?」 竜蛇の骨張った長い指が犬塚の黒髪を梳いて、そのまま頬を滑る。 唇に触れた時、ハッとした犬塚が噛み付いてやろうと牙を剥いた途端に離れた。 そして、また書類を捲る音がした。 ───なんのうよつもりだ!? 竜蛇の行動は読めない。混乱は深まるばかりだ。 犬塚は唇を舐めて湿らせてから、ようやく言葉にした。 「……なんのつもりだ。何を考えている?」 だが、竜蛇は答えない。黙々と仕事を続けた。 「竜蛇!!」 何度呼んでも無駄だった。竜蛇は犬塚から興味を失ったかのようにパソコンのディスプレイを見ている。 そのうち犬塚は竜蛇を問い質すのを諦めた。

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