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不幸を招くもの
竜蛇は久しぶりに、都内のあるマンションへと来ていた。
犬塚とは三日ほど会っていない。
最後の夜に犬塚は不安定になっていたので、少し距離を置いていた。
竜蛇にしては珍しく時間をかけていた。
それだけ犬塚に対して本気だという事だ。
犬塚の精神と肉体のアライメントはガチャガチャになっている。
犬塚はブランカに救われたと思っているようだが、ならば何故、ブランカは犬塚のトラウマを放置したまま育てた?
歪んだ信奉者として自分を崇めさせているのだろうか……?
だが、その歪みと犬塚本来の気質の微妙なバランスが竜蛇を惹きつけたのだ。
竜蛇は少しずつ犬塚の精神を揺さぶり、崩し、再構築する。
歪な犬塚のアライメントを整えていく。付け加えるならば、自分好みにだが。
あの夜、犬塚を抱きたい衝動に暴走してしまいそうだったが、竜蛇はどうにか抑えた。
この衝動を吐き出してしまわねば、犬塚に会うのは危険だった。
竜蛇の精神世界にはケダモノが棲みついている。昔からだ。
まっとうな愛し方など、自分にはできない。
責め苛む事でしか愛せない。
だが、何よりも大切にしたいとも思う。
我ながら厄介な性分だった。
過去のトラウマから解放したいとも思っている。そのトラウマは竜蛇のものではない。他の男が付けた傷だからだ。
竜蛇は最上階でエレベーターを降りた。
奥の部屋へと進み、合鍵でドアを開けた。
「久しぶりだね。香澄」
寝室に入った竜蛇は、ベッドに座っている青年に微笑みかけた。
「竜蛇さん。お久しぶりです。来ていただけて嬉しいです」
青年───香澄 は嬉しそうに竜蛇を見た。
黒髪に優しい若草色の瞳をした、儚げで整った顔立ちの美しい青年だった。
香澄は薄い灰鼠色で裾に紅い花が散った襦袢を着ており、天蓋付きのアンティーク調の豪奢なベッドの上に少女のように座っていた。
部屋の内装も、どこか大正時代の娼館を感じさせた。
甘い香に包まれ、レトロな雰囲気だが、よくよく見れば天井には金具が取り付けられており、アンティーク調の棚には卑猥な玩具がディスプレイされていた。
このマンション自体が秘密の娼館であり、下の階には組の若い者が用心棒がてら住み込んでいた。
蛇堂組のしのぎのひとつだった。
表向きは居住用のマンションで、客は個人的に住人に会いに来ることになっている。
政治家や金持ち連中、海外の要人専門の高級娼館だった。
香澄は一番の売れっ子の男娼だった。
竜蛇はソファに座り、香澄に尋ねた。
「脚の調子はどう?」
「平気です。雨の日に少し痛むくらいで……」
香澄は目を伏せて、右足を撫でた。ちょうどアキレス腱のあたりに傷痕があった。
竜蛇が香澄を回収したのは、今から三年ほど前になる。
大物政治家の息子二人が、香澄を奪い合って刃傷沙汰を起こしたのだ。
弟の方は香澄を監禁し、逃げないようアキレス腱を切った。
そして、香澄を取り戻しに来た兄が、弟を包丁で刺したのだ。
幸い命に別状は無かったが、事態を知った父である政治家は怒り狂った。
たかが男一人の為に、ゆくゆくは政治家になるであろう歳若い息子達が殺しあったのだから。
前代未聞のスキャンダルだ。どうにか揉み消す事ができたが……。
その政治家が竜蛇に連絡をしたのは、秘密裏に香澄を処分する為だった。
だが、竜蛇が来る前に、一度だけ楽しもうと香澄を抱いたのがいけなかった。
父親も香澄に夢中になったのだ。
結果として、香澄は殺されることはなかったが、男娼に身を落とすこととなる。
政治家は色に狂った目をして、自分の愛人として竜蛇に香澄を匿って欲しいと言ったが、竜蛇は拒否した。
商品として預かるから、好きな時に抱きにくればいいと、上手く言いくるめた。
竜蛇の予想通り、香澄は売れっ子になった。
香澄に狂った客も、背後の蛇堂組を恐れて無謀な真似はしないのだから、竜蛇の判断は正しかったと言えるだろう。
未だに、その政治家は香澄のもとに足繁く通っている。
「香澄。おいで」
香澄は少しだけ頬を染めて、不自由な足でベッドを降り、竜蛇の前に跪いた。
竜蛇のベルトに手をかけ、ジッパーも下ろす。
まだ萎えたままの雄に舌を這わせはじめた。
「……ん、ふ……っ」
口内で竜蛇の雄を育てていく。卑猥な音をたて、香澄は懸命に奉仕し続けた。
竜蛇の手が香澄の後頭部に回った。
強い力で押さえつけ、喉奥の肉に当たるまで、勃ちあがった己の雄を呑み込ませた。
「───ぅぐっ!!……お、う"う"……ガハッッ!!」
たまらず香澄がえずいた。竜蛇が手を離すと、香澄は足元にうずくまりゲホゲホと噎せた。
「香澄」
凍りつくような冷たい声音で名を呼ばれ、香澄の体がビクリと硬直した。
「お前。下手になったんじゃないか? 俺が来ない間に手抜きを覚えたのか?」
「……違いますっ!!」
「仕込み直してやろう」
竜蛇は香澄の黒髪を掴んだ。
足の不自由な香澄を引きずってベッドまで連れていく。
「い!……あ、あ……竜蛇さん! ごめんなさい!……許してッ!!」
香澄は悲痛な声をあげた。
濃密な空気が部屋を満たしていた。
「あ、あ、あぁあ……う、ううっ!!」
あらゆる淫靡な玩具がベッドに散乱していた。香澄は散々責め苛まれた後、竜蛇に後孔を犯されていた。
香澄は麻縄で後ろ手に縛られ、膝立ちで吊られていた。
膝を曲げた状態で、脛と太腿をひとつに縛られているのでベッドには膝一点のみが付いており、不安定さから無意識に後孔が締まった。
「あ、あ!……あぁあ……竜蛇さん……」
香澄がうっとりした声で竜蛇を呼んだ。
だが、背後から香澄を犯す竜蛇の心は、ここには無かった。
揺れる黒髪を見て犬塚を思い出す。
「……犬塚」
竜蛇が甘い声で漏らした名前に、香澄の全身が硬直した。
「嫌!……やめてっ!!」
竜蛇の唇に残忍な笑みが浮かんだ。
「犬塚」
また犬塚の名を呼ぶ。竜蛇はこんな風に甘い声音で香澄の名を呼んだ事はない。
「やめてやめて!……あぁ…嫌だ!……嫌ですっ!……あ、あ……た、つださ……あぁあ!」
暴れ出した香澄を押さえつけて、後孔の締め付けを楽しみながら激しく犯した。
「……いいぞ……犬塚。お前が愛しい」
「ヒィ! やめてぇ……嫌…嫌ぁ……こんな……ひどい……あぁあ……」
泣き続ける香澄を竜蛇は思う存分犯し続けた。
情事が終わり、香澄はぐったりとベッドに伏せていた。その若草色の瞳からは、ハラハラと涙が零れていた。
「……ひどい人……」
竜蛇は香澄に背中を向けて、衣服を整えてながら、いつもの調子で言った。
「良かったよ。香澄」
香澄の瞳から、また新しい涙が零れた。
「ぼくは、貴方が好きです……」
もう何度めにもなる香澄の告白に、竜蛇が振り返る。
唇にいつもの微笑を浮かべて、無言のまま香澄の髪を撫でた。
香澄はうっとりと瞼を下ろす。
「下の者を呼ぶから、体を清めてもらうといい」
それだけ言って、竜蛇は部屋を出て行った。背中に香澄の視線を感じながら。
香澄の初めての相手は実の父親だったという。
12歳の時、父との情事を母に見られ、母の心は壊れてしまった。
結局、香澄は親戚筋に養子に出され、そこでも義父と義兄に手篭めにされた。
歪んだ関係の果てに義兄は自殺をし、香澄は家から逃げ出した。
17の冬だった。
見知らぬ男に拾われ、また犯された。
望もうと望むまいと、香澄は男を引き寄せ、狂わせてしまう。
その事に香澄は全く抗わない。素直に男に体を開く。簡単に囚われ、身を任せる。
そうして、男達を破滅に導いてきた。
───まるで幼い頃から欲望の対象にされてきた復讐のように。
だが、竜蛇には香澄の魔力は通じない。香澄を男娼として仕込んだのは竜蛇だ。
何度セックスをしても、竜蛇は香澄に溺れたりはしなかった。
いつだって冷たい琥珀の瞳で香澄を見下ろす。
いつからか、香澄にとって竜蛇は特別な存在になっていった。
竜蛇が香澄に惹かれないのは、立場は違えど、自分と同じ部類の人間だからだ。
男達に支配されているようで、その実、支配しているのは香澄の方だった。
竜蛇も香澄も相手を支配したい性質の持ち主だった。二人は模様は違えど、同じ毒蛇だ。
唯一支配できない竜蛇のことを、香澄は「愛している」と錯覚している。
竜蛇はそれを知りつつ、好きに思わせていた。
香澄は「商品」なのだ。「恋」という幻想に酔うことで、香澄の調子がいいのなら構わない。
「商品」として、大切には扱っていた。
竜蛇の元にいることで、ある意味、香澄は安定していた。
どんなに下衆な客でも痕が残るような真似はされなかったし、休養も充分にあった。ある程度の贅沢や自由も与えられていた。
がっちりと竜蛇と蛇堂組によって香澄は守られていた。守ると言うと聞こえはいいが、最高の商品管理をされているのだ。
香澄の中の魔物は、時折与えられる竜蛇からの甘くて残酷で、毒のようなセックスに満足していた。
以前のように誰彼かまわず狂わすようなことは減っていた。
片恋という幻想に酔い痴れながら、竜蛇が去った後の扉を見つめていた香澄はひとりのベッドでそっと目を閉じた。
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