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嵐の夜

竜蛇が香澄の部屋から出た時に降り出した雨は、夜には嵐へと激しさを増した。 一度、犬塚の様子を見ようと竜蛇は三日ぶりに白い部屋を訪れた。 監視カメラの映像では、特に変わりはないと報告されていた。 竜蛇はドアを開けて部屋の中へ入った。 オレンジ色の間接照明の下、犬塚はベッドの上でシーツに包まっていた。 ───眠っているのか? 竜蛇は静かにベッドまで歩んだ。 キシリと小さく軋ませて、ベッドに腰掛ける。 犬塚は頭までシーツに包まっていて、わずかに黒髪と指先が見えていた。 余りにも静かで、ピクリとも動かない犬塚に違和感を感じた。 「……!?」 犬塚を包むシーツを勢いよく剥がす。 「犬塚!!」 その口元とシーツが血で濡れていた。 犬塚は舌を噛み切っていた。 慌てて竜蛇は犬塚を抱き上げた。ガクリと仰け反った顎に手をかけ、その口元を確認した。 心臓が狂ったように早鐘を打つ。 犬塚を失うわけにはいかない。 傷を確認するために、竜蛇が犬塚の血塗れの口内に指を差し入れたとき、渾身の力で犬塚が噛み付いた。 「……ッ!!」 カッと目を開いた犬塚が、竜蛇の肋骨を正確に狙って拳を打ち込んできた。 「ぐっ!」 肋骨が折れた感触が犬塚の拳に伝わる。 噛み付いていた竜蛇の指を離し、折った肋骨を狙って拳を打ち込む。 竜蛇はすかさず肋骨をガードした。狙い通りだ。 犬塚は反対の拳で、ガラ空きの竜蛇のこめかみを狙った。 犬塚の拳は竜蛇のこめかみを掠めた。続けて殴りつけ、竜蛇の体の重心が崩れる。犬塚は竜蛇下から這い出て、背中に乗り上げた。手にしたロープで竜蛇の首を締め上げる。 犬塚はシャワーを浴びた後に髪を拭く為と見せかけて、フェイスタオルを部屋に持ち込んでいた。 それをシーツの中に隠れて、何本かに引き裂き、編み直して強化させ一本のロープを作っていた。 犬塚が日課のトレーニングもせず、日がな一日ベッドで静かに過ごしていたので、監視の者も気付かなかったのだ。 竜蛇の首にかけたロープを交差させ、ギリギリと締め上げる。 「……ッ!」 竜蛇は完全に意表を突かれていた。 これでも竜蛇は犬塚に惚れている。 犬塚が舌を噛み切ったと見せかけた姿に衝撃を受け、日頃の冷静さを失っていた。 犬塚から本気の殺意を感じて、竜蛇の唇に微笑が浮かんだ。 犬塚の髪を鷲掴み、渾身の力で引き剥がした。 竜蛇は思い切り、叩きつけるように犬塚を放り投げた。 ぶちぶちと犬塚の黒髪が何本も抜けて、シーツに散った。 ベッドから落ちた犬塚は咄嗟に受け身をとった。体勢を立て直して、前傾姿勢で指先を床に着き、竜蛇を睨みつけた。 少しも諦めてはいない。 野生の獣のように、そのしなやかな裸身に殺意を纏い竜蛇を見ている。 竜蛇はそんな犬塚の視線にゾクゾクした。 犬塚はトラウマに囚われ、ブランカに依存し、心の奥底に不安定さを隠している。 性的接触を嫌悪しながらも、その肉体は男の熱を求める。 だが、犬塚はギリギリの所で耐えていた。 犬塚は香澄のように自分の(さが)を認め、運命に身を任せたりはしなかった。 決して屈しない。 性玩具だった子供時代、生き延びる為に環境に順応し、どんな淫らな真似でもやってのけた。 けれど───魂までは堕とさなかった。 今でも殺し屋という忌み嫌われる裏の世界にいるが、犬塚は底の底までは闇に染まってはいない。 生き汚く、必死で這い上がる。惨めで哀れだが、誇り高く気高い。 そのたった一欠片の輝きが、竜蛇を捉えて止まないのだ。 「……」 竜蛇が犬塚を見て、淫靡な笑みを浮かべた。 犬塚は表情を変えず、竜蛇を仕留めることだけに集中していた。 竜蛇は自分がこの部屋に入る時は、監視モニターを切らせていた。 ───お前に殺されるなら本望だ。 この部屋で最初に犬塚に会ったときに言った言葉は嘘ではない。 今、二人でいるこの瞬間は、誰にも邪魔されることはないのだ。

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