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蛇と狼

「志狼さんに笑われますよ」 いつもの高級車の助手席から、須藤が嫌味ったらしく言った。 「ああ」 いくつか書類に目を通しながら、竜蛇は苦笑して答える。 頬に痣を作り、唇は切れている。肋骨にはヒビが入っていた。 竜蛇の傷を見てから、須藤はずっと不機嫌だった。 「清掃に入った者に聞きましたが、部屋の中もひどい有り様だったそうじゃないですか?」 「昨夜は激しかったからね」 竜蛇が思い出したように、微笑を浮かべた。 最高の夜だった。早く犬塚に会いたくてたまらなくなる。 「……なぜ、あの男なんです」 「ん?」 「どうして犬塚でなければ駄目なんですか」 竜蛇は思案する。明確な理由など分からない。必要は無い。 本能が求めるのだ。 支配したいのも、執着してしまうのも、竜蛇に最高の喜びを与えるのも、犬塚だけなのだから。 理屈ではない。欲しいのだ。どうしようもなく。 「恋っていうのは、説明のつかないものだよ。俺は犬塚でなければ満たされないんだ」 「……」 「須藤。お前も誰か相手を見つければいい」 須藤は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。 「組長のお守りが忙しくて、色恋してる暇なんてありませんよ」 「ごめんね。須藤」 竜蛇が唇にいつもの微笑を浮かべて、須藤を見た。 「ブランカの行方は分かった?」 「いいえ」 「前園雄介については?」 「死ぬ直前に追っていた事件について、調べさせていますが、30年近く前のことなので……」 「例の情報屋に金を積め。構わない」 「はい」 クセはあるが腕のいい情報屋だ。須藤は好かないようだが、金で動く奴は話が早い。 竜蛇は再び、手にした書類に視線を戻した。 その夜、竜蛇はいつものバ一で先に一杯やりながら、志狼を待っていた。 いつものことだが、今夜も志狼は遅れて来た。 「よぉ、色男」 ニヤニヤと笑いながら、志狼が向かいのソファに座った。 「やあ、志狼」 「須藤が嘆いてたぞ。飼い犬に噛まれまくったそうじゃないか」 その言い方に竜蛇は苦笑する。 「何とでも言え。昨夜は最高の夜だった」 「へぇ。お前、マゾに趣旨を変えたのか」 志狼が片眉を上げて、からかうように言った。 「心理学的にはSとMは表裏一体だ。言うなれば、精神的には俺はマゾだぞ」 「ああ、よせよせ。お前のSM談義なんざ、聞きたくねぇよ」 志狼がうざったそうに言って、注がれた酒を飲んだ。 しばらく、他愛ない雑談を続けた。 志狼が子猫を拾ったと言う。 猫と言っているが、人間の少年だ。 竜蛇のところの男娼と間違えたらしいが。 「お前ね。うちの男娼に手を出すのはやめろ。お前相手なら金を取らないって奴が何人かいるぞ」 「ケチケチすんな。充分儲けてるだろうが」 この級友は、その辺にいないくらいの美丈夫だ。 拳闘士のような見事な体に彫の深い整った顔立ち、エキゾチックな青い瞳。 黙っていても、男や女が寄ってくるので、後腐れのないセックスを繰り返してきた。 志狼は今まで誰とも本気付き合ったことがない。 それが、拾ってきた少年を家に連れ帰ったと言う。 ───珍しいどころか、天変地異の前触れだ。 あの亡き祖父の家に、志狼はセックスの相手を入れたことはなかった。 志狼は意識していないようだが、その少年は志狼にとっての特別なのかもしれない。 自分にとっての犬塚のように。 「今度、会わせろよ」 「嫌なこった。変態がうつる」 「志狼……」 うだうだとお互いの近況や他愛ない話をして、0時前に店を出た。

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