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空港にて

一人の男が空港でタクシーを降りた。 荷物は少ない。必要最低限の物だけを持って移動するのが常だった。 日本だけでなく、海外にも隠れ家や隠し金を持っている。動く時は身軽に。余計な物は持たない主義だった。 男は───ブランカは、空港のソファに座った。チェックインまではまだ時間がある。 子供たちはすでに指定の場所に集まっていた。 ───子供たち。 ブランカが育てた殺し屋達だ。大きな仕事がある。大金が手に入る。そう言って、世界中に散らばっていた子供たちを集めた。 だが一人、連絡がつかない子供がいる。 ───犬塚。 犬塚だけが行方知れずだった。日本で最後の仕事を受けてから、ぱったりと消息を絶っている。 最後の仕事は、あの男の依頼だった。 竜蛇志信。蛇堂組の組長で、頭のキレる男だ。 ブランカに依頼を持ちかけた時、竜蛇は代理人がブランカ本人ではないと見抜いていた。 ディスプレイ越しに視線を絡めた時の事を思い出す。 危険な男だ。 ブランカの若かりし日の仕事について調べているようだ。まぁ、今更あの仕事について竜蛇に知られたところで、別にどうでもよかった。 十中八九、犬塚を捕らえたのは竜蛇だろう。 だが、犬塚を拷問しようが、何をしようが、犬塚からブランカの情報を聞き出す事はできない。 犬塚は決してブランカを裏切らないだろうが、そもそもブランカの情報をろくに知らないのだ。 ブランカは誰に対しても表層的な面しか見せてはいない。 もうすでに、犬塚は死んでいるのかもしれない。 「……」 アレはブランカが育てた最初の子供だった。 初めて会ったとき、12歳の犬塚はブランカの標的だった男の精液と返り血を浴びて、裸でベッドに座っていた。 犬塚は純血の日本人だった。しかも、変態男から調教済みだ。その手の奴らに高く売れるだろう。 そう考えたが、人身売買なんぞ本業ではない。面倒だとも思い、さっさと始末しようと銃口を向けた時─── 『つれていって』 『……?』 『いっしょに、つれていって。つれていけないなら、ころして』 犬塚は銃口を向けられている事に怯えもせず、まっすぐにブランカを見て、幼い口調で言った。 命乞いのひとつでもすれば、簡単に殺せた。ブランカは子供を殺す事に何ら抵抗はないのだから。 ───ほんの気まぐれだった。 哀れで、汚れた子供だった。だが、純血種だ。犬塚が生粋の日本人でなければ、拾わなかったかもしれない。 アレが最初。 殺し屋として、闇の世界に堕とした子供は。 犬塚は優秀で忠実だった。 『今日から犬塚とでも名乗るといい』 アレが独立する時に言った言葉だ。 初めて会った時は、愛玩犬のようだった。殺し屋として仕込んだ今は狩猟犬だ。 皮肉を込めて、犬という漢字をあてた名前を言ったのに。 嬉しそうに笑った。 一度も、あの子供に優しくしたことなどなかった。ただ、技術と裏社会で生きる術を叩き込んだ。 高熱を出して死にかけた時でも放置した。 それでも、犬塚は生き延びたのだ。 「……」 ブランカの乗る便のチェックインが始まる。ブランカはゆっくりと立ち上がった。 そして、クルリと踵を返し、空港の外へと向かった。 再びタクシーに乗り、ネオ・トーキョーへと引き返したのだった。

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