40 / 151

逃走

翌日。 犬塚は気怠い体を起こして、バスルームに向かった。 顔を洗って、鏡に映る自分をじっくり見た。 散々泣かされたので、瞼が腫れぼったい。首筋や胸には赤い痕が散っていた。 腕と胸、足にも縄の痕が残っていた。 ───傷痕が残るような不粋な真似はしない。 いつぞや竜蛇が言った言葉だ。この縄の痕も残ることは無いのだろう。 「……」 ───俺はどうしてしまったんだろう。 あの男を嫌悪していたはずなのに、セックスも恐怖でしかなかったのに。 しかも、竜蛇とのセックスはアブノーマルなものだ。それなのに…… 自分は竜蛇との行為に感じて、何度も絶頂に達したのだ。 犬塚はため息をついて、タオルで顔を拭いた。 こんな場所で監禁され、竜蛇以外の人間と合わずに何週間も過ごしている。 自分はどこかおかしくなってしまったのかもしれない。 犬塚が再びため息をついたとき─── ───ガチャン……ッッ!! 大きな音とともに部屋中の電気が消えた。 「!?」 ───停電か!? 暗闇の中、ポゥと足元に予備電力の非常灯が灯った。 さっきの音、あれは電子ロックの外れた音では…… 白い扉は常にロックされている。 この首輪のせいで犬塚は扉に近付けない。 犬塚はバスルームを出て、薄暗い部屋をゆっくりと歩き、閉ざされたドアを目指した。 3m以内に近付いても首輪に電流が流れることはなく、犬塚はそっとドアノブに手をかけた。 ───開いた!! 犬塚は静かにドアを開けて、外の気配を伺いながら、慎重にドアの外へと足を踏み出した。 足音を忍ばせて、非常灯のみで薄暗い廊下に出た。 ───出口はどっちだ!? その時、慌てたような足音が聞こえてきた。犬塚は咄嗟に開けたままの扉の陰に隠れた。相手からは死角になっている。 足音は二人だ。 「ドアが開いてるぞ!」 「まずいな……組長に殺される」 「出口はこっちだ。まだ中にいるはずだ」 犬塚は気配を消し、二人の男が近付くのを待った。そして、 ───ガンッ!! 男がドアの側まで近付いた瞬間、思い切りドアを押して男を一人吹っ飛ばした。 「ぐぁッ!!」 「犬塚!」 慌てたもう一人の男が懐から銃を抜く前に、犬塚は相手の太腿を踏台にして飛び上がり、両手で頭を掴み男の顎を膝で蹴り上げた。 「……がッ!!」 顎が砕ける感触があった。男は呻いて蹲る。 犬塚は蹲った男の頭を掴み、思い切り床に打ち付けた。男は気絶して、ぐったりと床に突っ伏した。 ドアで吹っ飛ばした方の男が立ち上がったところを回し蹴りで再び倒した。 急いで銃を奪う。 「……う、クソっ!……!?」 「出口は? ここはどこだ?」 男に銃口を向け、犬塚は聞いた。 「諦めろ。首輪がある限り、ボスからは逃げられないぞ」 「……」 犬塚は銃のグリップで男の頭を殴り気絶させた。 男のスーツのジャケットとズボン、靴を脱がせる。 サイズが大きいが、急いでズボンを履きベルトをきつく締めてジャケットを羽織った。持っていた銃を腰とベルトの間に挟んだ。 もう一人の男の銃も奪い、装填を確認し、銃と靴を手に持ち裸足のまま男達が来た方向へと走った。 どうやら監視は二人だけだったらしい。 犬塚は警戒しながら、階段をかけ上がった。そして、もう一つのドアを開けた。 「……」 薄暗い廊下にいくつか扉があった。ここが何階なのか分からないが、とりあえず進んだ。 犬塚は最奥の重そうなドアまで走り、ドアノブに手をかけた。 ───ガチャリ 扉は開いた。外の風を肌に感じ、犬塚は迷うことなく飛び出した。 ───自由だ!! 飛び出した先は、路地裏のような場所だった。自分がいた建物も、少し薄汚れた雑居ビルのような外観だった。 犬塚が監禁されていた部屋は地下二階の深さにあったようだ。こんなビルの地下に、あのような監禁部屋があったことに少し驚く。 外は小雨が降っていて、少し肌寒い。 まだ夕方のようだが、天気が悪く薄暗かった。 犬塚は靴を履いて、ジャケットを掻き抱くようにして銃を隠して歩いた。 早く離れなければ、異変に気付いた他の者が来る。 ───ここはどこだ? 日本なのは間違いない。竜蛇の通うペースからして、ネオ・トーキョーだろうか。 路地裏を出ると、パラパラと人が歩いていた。 犬塚はうつむき、若い男を狙ってわざとぶつかった。 「いってぇな!! 気をつけろよ!」 「……すみません」 ブツブツ言いながら、男は歩いていった。犬塚の手には、男のポケットから抜き取ったスマートフォンがあった。 足早に歩きながら、ある番号に電話する。 『おかけになった電話番号は現在使われて───』 ブランカの日本での連絡先だ。すでに解約されていた。もう一つの番号にかけても同じだった。 「……くそっ」 犬塚はスマホを叩き壊して道端に捨てた。 どうする?ブランカはもう日本にはいない。追うにしても金やパスポートがいる。 日本にいくつか隠し金はあるが、隠し場所は竜蛇が調べているはずだ。近付くのは危険だった。

ともだちにシェアしよう!