44 / 151

奇妙な関係2

結局、犬塚は一睡もせず夜明けを迎えた。 竜蛇は来なかった。 新見が起きて、朝食の準備をしている。 こんな風に朝日を感じながら食事をすることなど久しぶりだった。一か月以上もあの監禁部屋にいたのだ。 逃げることができて、もっと嬉しいかと思った。だが、犬塚の心を占めているのは漠然とした不安だった。 「誰かを待ってるの?」 「……違う」 食事をしながら、新見が聞いてきた。 「ずっと昨夜も待ってたんでしょう? 誰か、迎えに来てくれる人がいるのなら、僕が連絡を……」 「うるさい! あんな奴を待ってなんかいない!」 犬塚に怒鳴りつけられて、新見は黙った。 「……悪い」 バツが悪そうな犬塚に、新見は微笑んだ。 「いいよ。少しは僕に気を許してくれたのかな」 「……お前。本当に変な奴だな」 「よく言われるよ」 だが、いつまでもこの状態でいる訳にはいかない。 「今夜には出ていく」 「えっ!? そんな、無理に出ていく必要ないよ。僕なら大丈夫だ」 新見が焦ったように言った。 「お前、仕事はしてないのか? 周りに怪しまれるだろ」 「ああ。在宅の仕事なんだよ。だから大丈夫」 新見は件の友人の事件以来、人間不信気味になっていた。幸い必要なスキルは持っていて、そこそこ稼げたので自宅で仕事をしているのだ。 「もう少し、ここにいて」 新見は縋るように犬塚を見た。 「……」 犬塚もどこにも行くあてがなかったし、ブランカもいない。ここにいても、外に出ても同じだ。どこにも居場所なんか無いのだから。 「……分かった」 犬塚の返事に新見は嬉しそうに笑った。   犬塚と新見の奇妙な関係は、三日目の夜を迎えた。 新見は失った友人の身代わりのように、甲斐甲斐しく犬塚の世話をしていた。犬塚も新見に対して警戒を解いていった。 「犬塚君、今夜はシチューにするね」 「君はよせ。気持ち悪い」 犬塚の不快そうな顔を見て、新見は笑った。 犬塚にとって新見は不可解な人間だったが、一緒に過ごすうちに慣れていった。悪意の無い関係は新鮮だった。 友人と呼べる人間はいないし、自分にとって近しい人間なんてブランカだけだ。 ───それに、竜蛇。 もう三日だ。 本当に首輪が壊れて、犬塚を見つけることができないのか。それとも…… ───飽きたのだろうか? あの男は嫌がる相手を責めるのが好きなのだ。 犬塚は竜蛇に惹かれ始めていた。自分でも自覚している。 だから、竜蛇は興味を失ったのかもしれない。 そう考えると、犬塚の胸にぽっかりと穴が空いたような空虚な気持ちになった。 「先にシャワー浴びてきたらいいよ。その間に食事の用意をしておくから」 新見にそう言われて、犬塚は立ち上がりバスルームへと向かった。 服を脱いで熱いシャワーを浴びる。 「……」 この三日間、竜蛇の事ばかり考えていた。 無理やり犯して、監禁して、何度も何度も責めて……。 甘い言葉と強烈な快楽で犬塚を支配しようとした。 それなのに、こんなにもあっさりと終わるのか。 虚しさと同時に、怒りがふつふつと湧いてきた。 ───絶対に逃がさないと言ったくせに! 犬塚はシャワーの湯を水に変えて、頭から水を浴びた。 体が冷えきった頃にシャワーを止めて、犬塚はバスルームを出た。 洗面所の鏡には、薄くなった縄の痕が微かに残る自分の裸体が写っていた。 このまま縄の痕も消えるだろう。 「……」 再び憂鬱な気持ちになり、手早く体を拭いて部屋着を着た。 洗面所を出てリビングに戻った瞬間、異様な空気に凍り付いた。 リビングの床に血痕が残っていた。そして…… 「犬塚」 ソファに優雅に座っていたのは、竜蛇だった。 「……ッ!!」 ───しまった! 銃を洗面台に置いたまま出てきていた。 竜蛇の蛇眼に捕えられ、蛇に睨まれた蛙のように体を動かすことができない。 竜蛇はゆっくりと立ち上がって、犬塚へと歩み寄った。いつもの隙の無いスーツ姿で靴を履いたままだった。 「油断しすぎだ。俺の部下から奪った銃はどうした?」 犬塚の前に立ち、琥珀の瞳で見下ろす。唇は微笑んでいるが、目は笑っていない。 「そんなに気を許してるのか?」 喉がカラカラになっていた。犬塚は唇を舐めて、どうにか言葉にする。 「……あいつは関係ない。俺が脅した」 「その割には、仲が良いようだ。お前の事は助けてくれと泣いていたぞ」 「竜蛇! 何もしないでくれ!新見は……ッ!」 竜蛇に喉を掴まれ、壁に押し付けられた。 「……黙れ」 「…っ!」 ギリギリと絞められて息ができず、犬塚は竜蛇の手を掻き毟るように爪を立てた。 竜蛇は気にした風もなく、両手で犬塚の首を絞めあげた。 「悪い子だ。犬塚」 「……か、はッ!」 酸欠になっている犬塚の唇を竜蛇がぺろりと舐めた。 ───竜蛇!! そのまま、犬塚は暗闇へと意識を沈ませていった。

ともだちにシェアしよう!