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涼と香澄1
竜蛇の部屋を出た涼は、男娼達のいるマンションに向かうことにした。
もともと涼は高級男娼達の取り纏めやセレブ客との取り次ぎをしていた。竜蛇に命じられて、今は犬塚の食事係をしているのだ。
パンケーキを食べ損ねてしまったので、途中ベーグル屋でアボカドと海老のセサミベーグルサンドと豆乳ベーグルと蜂蜜チーズのディップを買った。
そして、大通りでタクシーを拾い、目的地を告げた。
───ああ。疲れた。
さすがに気疲れしていた。
男娼たちの取り纏めをしていたので、アブノーマルなプレイや厄介な客のあしらい方には慣れている。
だが、竜蛇と犬塚は今まさに発展途上中の『恋愛』をしているのだ。
歪んでいるが、竜蛇が犬塚に本気で惚れているのも、犬塚が竜蛇に惹かれているのも分かる。
それに、涼は犬塚のことを難しい男だと感じていた。詳しい事は聞かされていないが、厄介な『傷』を持っていそうだ。
香澄や自分と同じように……。
涼が娼館に行くのは、香澄が気掛かりだったからだ。
竜蛇は最近、香澄の元を訪れていない。そのせいで香澄は不安定になっているかもしれない。
考え事をしているうちにタクシーは目的地へ着いた。
涼がマンションのエントランスホールに入ると、コンシェルジュ(蛇堂組の組員で用心棒なのだが)の男が涼の顔を見て微笑んで会釈した。
涼は竜蛇のお気に入りでもあり、仕事ぶりも優秀だ。娼館にいるヤクザの男達からは一目置かれていた。
涼は軽く手を振って挨拶を返し、事務所にしている部屋へと向かった。
「佐和さん。元気?」
「涼さん~!!」
佐和と呼ばれた若い男が情けない声で涼を呼んだ。
「お疲れのようね」
佐和は犬塚の世話で抜けた涼の代わりに、この娼館の取り纏めをしている組の若者だ。
180を越える長身にこげ茶の短髪、ヘイゼルの瞳をしている。ロシア系の血が流れており、肌が白く日本人離れした厳つい顔立ちだが、笑うと人懐っこい印象になった。
元々、蛇堂組の下っ端で立ちんぼの男娼達を仕切っていたが、竜蛇の直感で涼の後釜に抜擢されたのだ。
涼の仕事を引き継ぎ、この高級マンションに住み込んで仕事をしていた。
路上とは違って、ここの客達は政治家や海外の要人、金持ちのセレブばかりだ。動いている金も桁が違う。
セレブ客相手の取り次ぎもだが、高級男娼たちの我儘にも佐和は辟易していた。組員の中には、急に出世した若い佐和に対して不満を持つ者もいた。
それに、今まではボロアパートに住んでいたので、広くて綺麗な部屋は落ち着かなかった。
「ちょっとここでお昼ご飯食べさせてね。佐和さんもコーヒー飲む?」
涼はテーブルの上に買ったきたベーグルの袋を置いて、キッチンでコーヒーメーカーのセットをした。
「あ。俺が入れますよ」
「いいから、座ってて」
涼は佐和を見て聞いた。
「どう?」
「大変ですよ~。もう、路上とは違いすぎて……ずっとこの仕事してたんでしょ。涼さん、すごいですよ。若いのに」
佐和が顔に似合わず、濡れた大型犬のような情けない顔をしたので、涼はアハハと笑った。
「歳は変わらないでしょ。慣れよ、慣れ。他に気になることはない?」
「あ~……香澄さんなんですけど」
「香澄がどうかした?」
佐和は少し迷った様子で続けた。
「問題は無いです。表面上は。他の男娼達よりも聞き分けがいいし、客受けもいい。でも……なんちゅーか、不安定な気がして」
涼は紙袋からベーグルとお手拭きを出しながら、続きを促した。
「組長は月に1~2回は香澄さんの元へ通ってたって聞いてます。でも最近ご無沙汰だ。香澄さん、組長に惚れてんでしょ? 多分、そのせいだと思うんですが」
香澄は感情をあまり表に出さない。
不安定な時は穏やかに微笑んでいる事が多い。
だから、香澄の不安定さや厄介な気質に気付く者は中々いないのだ。
だが、佐和は気付いている。竜蛇の不在が原因だとも。
竜蛇は犬塚に夢中だ。香澄の事は忘れているのだろう。
香澄の竜蛇への感情は、手に入らないものへの憧れにも似た渇望だ。
ある程度飢えさせ、時折与える。竜蛇自身が香澄の中の魔物への餌だった。
「さすがね。佐和さん」
「へ?」
涼はカップにコーヒーを入れて、佐和の前に置いた。
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