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涼と香澄3
「あたしも今日はお休みだから泊まっていくね。久しぶりに晩ご飯作ろうか? 何か食べたいのある?」
香澄の返事を待たずに、涼は一方的に決めてしまっているが、いつものやり取りだった。
香澄には友達と呼べる人間も、恋人と思える人間も、これまで一人も居なかった。
そんな香澄のフィールドに、まるで野良猫のように涼はふらりと入ってきた。
香澄がひとりになりたいと思っている時は距離を取り、不安定な時には香澄の部屋に泊まっていった。
気付けば兄妹のようでいて姉弟のような、友人のような関係になっていた。
実際は男娼と管理する者なのだが……。
「久しぶりにあれ食べたい。卵がふわふわのオムライス」
「オッケー。じゃあ買い物行ってくるね」
「あ。シャンプーも買ってきて」
「ロクシタンの?」
「うん」
「わかった。ちょっと行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
香澄はリビングのソファに座ったまま涼を見送った。
40分程で涼は帰ってきた。
「ただいま~」
「おかえり」
涼はキッチンに直行して、食材を冷蔵庫に放り込む。
「夕飯にはまだ早いから映画かりてきたよ。一緒に見よう」
レンタルショップのバッグを香澄にポンと投げた。
「……涼。なんでホラーとスプラッタなの?」
「ん? スカッとするから」
キッチンでお茶を入れながら、涼はニカッと笑って言った。
「もっとこう……恋愛ものとか、感動する映画とかなかったの?」
香澄はブツブツ言っていたが、涼は気にせずカップを二つ持ってリビングに来た。
「はい」
カップから独特の甘い香りがした。
ヨギティーのスロートコンフォートだ。気持ちが落ち着く。
「まあまあ。付き合ってよ」
「しょうがないね、涼は」
香澄は両手でカップを持ち、熱いお茶をすすりながら呆れたように言うが、いつものことだった。
結局、B級ホラーをふたりで観る事にした。怖くはなく、バカバカしくて肩の力が抜ける映画だった。
「ああ、面白かった」
「まあまあだよ」
「はいはい。じゃ、ご飯作るね」
大きく伸びをしてから涼は立ち上がり、香澄の手を引いて一緒に立たせた。
涼が料理を作っている間、香澄はダイニングの椅子に座って話ながら、涼が料理を作る様子を見ているのだ。いつもそうだった。
この日もダラダラと話ながら、涼が料理するのを見ていた。
「おまたせ」
ダイニングテーブルに香澄リクエストのオムライスとアボカドとトマトのサラダ、セロリとトマトのスープを並べた。
「いただきます」
「はーい」
香澄と涼は向かい合って座り、できたてのオムライスを頬張る。
「美味しい。やっぱり涼の作るご飯が一番美味しいよ」
「ありがとう。もっと褒めて」
得意げな顔の涼に香澄は笑って、スプーンで掬ったオムライスを口に入れた。
食事が終わり、少し休憩してから風呂に入ることにした。
湯船に湯が溜まった頃、涼は香澄の手を取り脱衣所に一緒に入った。
「久しぶりに髪洗ってあげる」
涼は服を脱ぎ、ブラトップとショーツだけになって、再び香澄の手を引いてバスルームに入った。
「涼は女の子なんだから、もっと可愛い下着買えばいいのに」
猫脚のバスタブに浸かった香澄が呆れたように言った。涼は香澄の頭側にプラスチックのミニチェアを置いて座った。
「可愛いでしょ」
涼はグレーにピンクのラインのガールズブリーフを履いている。
涼はスタイルもいいし、はっきりと整った顔立ちをしている。磨けばきっとゴージャスになる。
それなのに、着飾ることをしない涼を見て、いつも香澄はもったいないと思うのだ。
「もうちょっとセクシーなやつとか……」
「はいはい。目瞑って」
口うるさい小姑のような香澄を黙らせるように、その黒髪にお湯をかけて濡らした。
そして優しく香澄の髪を洗った。
「……きもちいい」
「エロいエロい。声エロいから」
「寝ちゃいそう……」
「いいよ、寝てて。湯船で溺れないように、ちゃんと見ててあげる」
涼はクスクスと笑いながら、香澄の頭皮をマッサージした。
その心地よさに香澄はうつらうつらと眠り始めたが……
「……ヒィッ!?」
急に引きつったような声を上げて体をビクッと跳ねさせた。湯船の中、華奢な手足がもがく。
「香澄! 香澄、大丈夫よ」
「ごめ……なさぃ……ごめ……ッ」
バシャバシャと湯を跳ねさせ暴れる香澄を涼はギュッと抱きしめた。
「大丈夫。ただの夢よ。大丈夫」
涼は大丈夫と繰り返し、強い力で香澄を抱きしめた。
「涼……涼……」
香澄の細い指が涼の腕に縋り付く。
「大丈夫。あたしがいるから。大丈夫よ」
香澄はハァッと大きく息を吐いて、肩の力を抜いた。
───やっぱり。また夢を見るようになってるんだわ。
香澄が不安定な時、いつも同じ悪夢を見るのだ。香澄は自分からは話さない。
だが涼は今日、香澄の微笑みを見て、また悪夢が蘇ったのだと察していた。
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