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理由3
朝食を食べた後、竜蛇は出て行った。
午後から涼が来ると聞いたが、昨日の今日で気まずく感じていた犬塚は寝室に籠っていた。
「犬塚さん。起きてる?」
寝室のドアをノックされて、犬塚はドキリとした。返事をせずにシーツをかぶり寝たふりを決め込んだ。
だが、涼は勝手知ったる様子で寝室のドアを開けた。
「起きてるんでしょ?」
涼はスタスタと部屋の中に入ってきて、ベッドの端にぽすんと座った。まさか入ってくるとは思わず、犬塚は驚いていた。
「昨日の事は気にしないでいいから。もう忘れたし、犬塚さんも忘れて」
「……」
「って言っても、無理か。犬塚さんプライド高いもんねぇ」
「……」
涼の言い草にカチンときた犬塚は、シーツの中でだんまりを決め込んだ。
「そうねぇ。じゃあ、あたしの黒歴史を話すから。それでおあいこにしましょう」
犬塚の返事を待たずに涼は勝手に話し始めた。
「16の時が組長と初対面って話したでしょ。あの頃ね、ちょっと辛い事があって街をふらふらしてたらタチの悪いのに声かけられてね。悲しい気持ちがパーッとするよ~って。それでクスリ、やっちゃったの」
涼は軽い口調で話を続けた。
「で、気付いたらどっかのマンションの部屋でクスリと、売春みたいなことやらされてた」
犬塚は少し驚いてシーツから顔を出した。
「移民の連中でね。若いから恐れ知らずで、蛇堂組のシマでも勝手なことしてて前から目障りだったみたい。で、兄貴があたしを連れ戻しに来た時、連中をボコボコにして二人殺しちゃったの」
涼は犬塚の方は見ずに喋り続けた。
「警察には妹を薬漬けにされて逆上したってことになって、蛇堂組は関係ないってね。兄貴が刑務所に入ったのはあたしのせいだし、まだ頭がバカになってたからクスリ欲しさにふらついてたのよ」
───十年前だ。竜蛇と初めて会ったのは。
夜の街でふらついていた涼は背後から呼ばれた。
「涼?」
ゆっくりと振り返ると
「蜂谷涼だね?」
ひどく美しい顔をしたモデルのような長身の男が立っていた。唇に薄く微笑を浮かべて涼を見ていた。
「……あんた、だれ?」
「竜蛇だ。君のお兄さんのボスだよ」
涼は驚いて目を見開いた。ボスという事は蛇堂組の組長だ。
「来い」
そう言って涼の髪を鷲掴みにして引きずるように歩き出した。この頃、涼の髪は肩を越える長さだった。
「痛い!! なにすんのよ! 離せ!!」
竜蛇は涼しげな顔で涼を引きずって高級車まで歩いた。
「また! 勝手な真似はしないでください!」
若頭の須藤が慌てて駆け寄った。須藤が涼を見つけた途端、竜蛇は車を下りて自ら迎えに歩いたのだ。須藤はこの頃から気苦労の絶えない男だった。
「ごめんね、須藤。ドア開けて」
そう言って、後部座席に涼を放り込んだ。
「……いたっ! なんなのよ!?」
「お兄さんと約束をした。君の面倒をみると」
竜蛇は涼の隣に座り、優雅に脚を組んだ。
「はぁ? そんなのいらないわよ。おろせよ!! おろせ! 誰か!!」
涼はバンバンと窓を叩いた。
「黙れ」
竜蛇は静かに、だが底冷えのする声で告げた。
「まずはクスリを抜くことだ。完全にね。今のお前とはまともに話す気はない」
「……」
竜蛇の琥珀の瞳に射抜かれ、涼は硬直した。この男に逆らうことに本能的に肉体が怯えたのだ。
そうして、薬物治療の施設に放り込まれたのだ。
「まぁ、いろいろ大変だったけど。立ち直って今は犬塚さんの飯炊き要員ってわけよ」
二カッと笑って犬塚を見た。
ベッドに座って話を聞いていた犬塚は、何と言ってよいか分からず黙り込んでいた。いつもカラカラと笑っているので、涼にそんな過去があるとは思いもしなかった。
「さ。あたしの黒歴史を話したんだから、おあいこにしましょう」
「……」
「お腹空いてる?」
「……いや」
「じゃあ、一汗かきにいこうか」
「?」
涼は立ち上がって、犬塚についてくるように言った。
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