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古い写真1
セックスを終えた二人は、裸のままベッドに横たわっていた。うつ伏せになった犬塚の汗ばんだ背中を、骨ばった指でそっと撫でながら竜蛇が聞いた。
「なにか聞きたいことでもあるんだろう?」
竜蛇は犬塚の方を向いて横たわり、琥珀の瞳で静かに犬塚を見ている。
「……」
犬塚は黒い瞳で琥珀の瞳を見返した。竜蛇の瞳は静かな水面のような穏やかさを保っている。
「……書斎に入った」
「ああ、かまわない。どの部屋でも好きに入ればいい」
「写真を見た。あんたに似た女だ」
犬塚の言葉に竜蛇は面白そうに片眉を上げた。
「似ているだろう。母親だ」
犬塚はやはりそうか、と思った。
竜蛇のような琥珀の瞳をした人間を今まで見たことがなかった。
鈍く、鋭く、すべてを見透かすような独特の輝きを持っている。
「なんで笑う」
竜蛇のにやけ顔に、犬塚が眉を寄せて言った。
「お前が俺のプライベートに興味を持ったんだ。嬉しくてね」
「違う、そうじゃない」
犬塚は怒ったように言って、竜蛇から離れようと起き上がろうとした。
それを竜蛇の腕が留めた。
「まぁ聞け」
犬塚はしぶしぶベッドに横たわった。
「母は極道とは無関係の古い華族の家柄だった」
聞きたいとねだったわけではないが、竜蛇は勝手に話し始めた。だが、気になっていたので、そのまま話を聞き続けた。
「あるパーティーで父は母を見初めたらしい。人目惚れだったそうだ。強烈なね」
父は蛇堂組を継いだばかりだった。それにすでに本妻と愛人もいた。
「あわよくば手籠めにして妾にしようとしたらしい」
だが、できなかった。
母の琥珀の瞳に真っ向から睨みつけられ、手が出せなくなった。そして、ますます惚れ込んだ。なんとしても母───志穂を手に入れようと躍起になった。
当時、21だった志穂はどんな脅しにもびくともせず、口説き文句には冷たい瞳を向け、高価な贈り物は全て送り返した。
そこで父は志穂の家族、親類、友人を追い詰めはじめた。自分の大切な人間を傷付けられることには耐えられず、志穂は竜蛇の父を受け入れた。
受け入れはしたが、決して父に屈したわけではなかった。
───毒を喰らわば、皿まで。
ここまでして私を手に入れたのだ。お前も覚悟をしろ。志穂は琥珀の瞳で射抜くように見つめて、父に言った。
「祖父は静観していたそうだ。馬鹿息子がどうやって女を口説き落とすか見ていたが、子悪党なやり方だったと嘆いていたよ。だが、ミジンコで鮫を釣りやがったと例えていた」
見た目は美しく優雅だったが、志穂は女ながら激しく勇猛な気質をしていた。ヤクザ相手に一歩も引かず、凛としていた。
大人しく家庭には収まらず、蛇堂組のオモテの会社で働き続けた。
ついには子供のいなかった本妻を追い出し、本家に陣取った。組員達は志穂を慕い、彼女に忠実だった。
持って生まれたカリスマ性だ。年寄りの組員など、いまだに竜蛇に志穂の面影を見ている者もいるくらいだ。
竜蛇の父も志穂には頭が上がらず、尻に敷かれっぱなしだった。父は器の小さい男だった。
祖父は『お前の母親が男ならなぁ。立派な極道になれたぞ』とも『わしがもう少し若けりゃあなぁ』とも言っていた。
ある日、志穂は幼い我が子にこう言った。
『この家はヤクザの家。普通の家とは違う。一度、裏の道を進めば生涯表の人生は歩めない。お前が大きくなってこの家を継ぐなら、悪い事もしなければならない』
母のいつになく真剣な表情に、幼い竜蛇は妙に緊張したことを覚えている。
『お前が望むなら、母はどんな手を使ってでも志信を自由にしてあげる。志信はどうしたい?』
竜蛇はおぼろげにだが、理解していた。母のいう事も、父の生業も。祖父の生き様も。
『ここにいる』
母は僅かに表情を揺らし『そう』とだけ言った。
「迷いは無かった。母と祖父の背を見て育っていたからね。まぁ、親父は屑だったが……」
竜蛇は苦笑して言った。
「俺が15歳の頃に、母に病気が見つかった」
すでに末期で完治することは難しかった。父はどれほどの金を積んでも母を助けたかったが、母は治療を拒んだ。
醜くなるのは嫌だと。
父はベッドに縛り付けてでも、母の延命を望んだが祖父がそうさせなかった。
すでに隠居していた祖父は『余生を静かにすごしたい』という母の望みに応えて、自然の多い場所にある別荘に母を連れて行った。
「最後は俺にも会おうとしなかった。弱々しい姿など見せる気はないとね」
怖くて、綺麗で、母は最後まで凛としたままだった。
「あの本は母が最期に読んでいたものだ。読んだのか?」
「……いや」
「なんだと思う? 美しい言葉の並べられた詩集だ。意外だったよ。あの母がこんな本を読んでいたとはね」
竜蛇はくすくすと笑って言った。
「母の死後、父は荒れた」
高校卒業後、すぐに竜蛇は父を組長の座から引き摺り下ろした。実の父相手に下剋上をしたのだ。ずっとその為の準備をしてきた。
愛した女と同じ琥珀の瞳の我が子に裏切られ、父は唖然としていた。
新しい体制になった蛇堂組は完璧な一枚岩だ。母と同様、竜蛇にもカリスマ性がある。祖父譲りの一本筋の通った古い極道の気質に、誰も竜蛇志信が組を継ぐことに異論は無かった。
「父は隠居して、母が最期を過ごした別荘で暮らしている。いまだに愛しているようだ」
……母が父を愛していたかどうかは分からないが。
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