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友人1

翌朝、深く眠っている犬塚を起こさないように、竜蛇は静かに部屋を出た。 いつものように一分の隙もないスーツ姿で黒の高級車に乗り込む。 「おはようございます」 「おはよう。須藤」 助手席に座る若頭の須藤が、今日の予定を渡してきた。ざっと目を通しながら、竜蛇は犬塚の事を考えていた。 昨夜、母親の話をした時、犬塚は過呼吸のような状態になりかけていた。 犬塚は幼い頃の記憶を忘れてしまっているようだ。 ───無理もない。 ブランカに拾われるまで、犬塚はペドフェリアの男の玩具だったのだ。竜蛇は秀麗な眉を不快そうに寄せた。 蛇堂組では、子供を扱う商売はしていない。 借金のカタに子供を売り飛ばす連中もいるが、竜蛇は禁止していた。 女にも男にも非道な真似をしてきたが、子供は別だ。分別のつく大人なら自業自得だが、子供は大人の欲や愚かさに巻き込まれたにすぎない。 たとえ善人が騙されたとしても、相手を知ろうとする努力を怠ったせいだ。 人を信じる事は美徳とされるが、信じる為には相手を見極め、信用に値するか調べ、自分の頭で考える必要がある。 無知とは罪だ。 相手が大人ならば、騙されて借金を背負わされたとしても竜蛇は容赦しない。 竜蛇は一貫した価値観を持って、悪の道を生きている。 車は蛇堂組のオモテの会社に着いた。 竜蛇はいつものように秘書にコーヒーを持ってくるように言って、社長室に入った。 そして、デスクの引き出しから封筒を取り出す。中身は馬頭に調べさせた犬塚に関する資料だった。 馬頭から受け取った日に全て読んではいるが、竜蛇は再び犬塚の資料を読み返しはじめた。 あれでも馬頭は優秀で、よくここまで分かったものだと感心するくらい詳細に調べ上げていた。 今は志狼の父親殺しの依頼人について調べさせているが、珍しく苦戦しているようだ。 犬塚に関しては、純潔の日本人自体が珍しい事と、あの時代は日本人の子供が誘拐され高値で売買されていた事から、調べがついたらしい。 犬塚は両親を亡くし、孤児院に預けられていた。 そこへ犬塚の遠縁だと言う男が現れて、犬塚を引き取った。書類もきちんとしたものだったというが、当時はいろいろな事が杜撰(ずさん)だった。 雑種の子供らとチャイニーズ、ロシア系マフィアとヤクザが派手に揉めていたのだ。抗争に巻き込まれて孤児となった子供も多くいた。 そんな時代だったので、犬塚を売った組織は、今はもう潰れて存在しない。 「……」 竜蛇は犬塚の資料を読みながら考え事をしていた。 犬塚のトラウマも愛しいと思う。 だが、自分以外の人間が付けた『傷』を竜蛇は好まない。 竜蛇は長い指をこめかみに当てて、何かを決めかねるように考え込んでいる。 「失礼致します」 ドアをノックして、秘書がコーヒーを持ってきた。 「ありがとう」 竜蛇は微笑して、読んでいた資料を封筒に戻した。 今度はスーツの内ポケットからスマホを出して電話をかける。 数回のコール音の後、相手が出た。 「やぁ、志狼。今夜、時間はある?」 電話の相手に対して、竜蛇は穏やかに話しかけた。

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