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ギデオン1
翌朝、犬塚は竜蛇が作った朝食を二人で食べた。
「午後から涼が来る」と言って、竜蛇はもう当たり前のようになった玄関でのキスをして出ていった。
竜蛇を見送った後、犬塚は寝室に戻ってベッドにごろりと寝転ぶ。いつものガウンではなく竜蛇の部屋着を着ていた。
「……」
たった一日だ。竜蛇の休日は。
丸一日、二人は一緒にいた。
犬塚は昨日の朝からずっと不思議な感覚を味わっている。
漠然とした不安と、何とも言えないふわふわとした感覚だ。穏やかなようでいて、胸が騒めくような。
ぼんやりと天井を見つめていた犬塚は、ふと昔の事を思い出した。
ギデオン……。
ブランカの古い友人で、もぐりの医者だ。ブランカが仕事で海外に行く時はギデオンの元に預けられていた。
「君ねぇ。僕のところは託児所じゃないんだよ」
当然のように犬塚を預けに来るブランカにギデオンがぼやいた。
「一通りの事は自分で出来るよう躾けている」
「そうゆう意味じゃなくてね……」
「五日後に戻る」
それだけ言うと、ブランカは出て行ってしまった。犬塚は申し訳ない気持ちになり、自分の服の裾をぎゅっと握って俯いた。
「ああ。君が邪魔だとか、そうゆう意味じゃないよ」
ギデオンは困ったように微笑んで犬塚の頭を撫でると、犬塚はビクリと体を揺らした。
「ごめんね。君はスキンシップは苦手だったね」
ギデオンは手を引っ込めて、「お腹は空いてるかい?」と聞いた。
ギデオンはそんなに料理は上手くなかった。茹でたパスタにレトルトのソースをかけたり、ピザの宅配を頼んだり、適当なデリをテイクアウトしたりしていた。
ギデオンの家には貧しい者や非保険者が治療に来ていた。相手の懐事情によっては金を取らない場合もあった。
「若い頃はあくどい事もしてきたからね。そこそこお金は持ってるから心配いらないよ。それにブランカみたいな奴からはぼったくってるしね」
ギデオンはウインクしてみせた。
犬塚とギデオンは近所のスーパーに一緒に買い物に行ったりもした。
惣菜売り場の中年女性は気さくにギデオンに話しかけた。
そんな風に通りを歩いているとギデオンに声をかける知人に必ず会った。
「ギデオン。あの痛み止め、よく効いたよ。ありがとね」
「おばあちゃん。無理は禁物だよ。腰痛は舐めてちゃダメだからね」
ギデオンはにこやかに話しをする。ブランカとは真逆のような性格をしていた。
犬塚に対しても、特に気遣う事もせず普通に接した。だから犬塚はギデオンに慣れていった。
ギデオンは不思議な男で、まるで透明な空気のようなオーラを持っていた。
いつでもニコニコしていてフレンドリーだったが、本心を隠す見えない壁があり、深くは人付き合いをしていないように感じた。
何故、ギデオンがブランカと友人なのか犬塚は不思議に思って聞いてみた。
「僕とブランカ? まぁ、腐れ縁だねぇ」
ギデオンは買ってきた中華のデリを開けながら話した。犬塚にチャーハンの箱を渡して、ギデオンはヌードルを選んだ。
「ちょっと待ってね」
ギデオンは箸を咥えて立ち上がり、写真立てを持って戻って来た。
「?」
13歳~15歳くらいの少年と20代半ばか後半くらいのヒスパニック系の美女の写真だ。
「ブランカだよ」
「!」
少し機嫌の悪いような、拗ねた顔の少年はブランカだった。楽しそうに笑っている女性に肩を抱かれている。
……この人は誰なんだろう?
犬塚が訪ねるようにギデオンを見ると、ギデオンはヌードルを食べながら言った。
「彼女は僕の友人で、まぁ、片思いの相手みたいなもんだったよ。美人だろう。気取らず、優しくて、さばさばしていて、でもセクシーで。最高の女性だったよ」
ギデオンは懐かしそうに目を細めた。
「ブランカの本当の親は亡くなっている。彼女が保護者みたいなものだった。ブランカが君を連れてきたみたいに、彼女がブランカを僕のところへ連れてきたんだ」
─────『起きて、ヤブ医者! この子を診てちょうだい』
あの夜、ギデオンは彼女に叩き起こされた。ブランカは血まみれでギデオンの元に連れてこられたのだ。
「彼女が僕をヤブ医者と呼ぶものだから、ブランカも僕をヤブ医者と呼ぶようになったんだよ。嫌になっちゃうね」
僕はそこそこ腕のいい医者なんだよ、と笑った。犬塚はこの女性は今どこにいるのだろうと思った。
ブランカは自分の事を全く話さないのだ。
犬塚は写真の中のブランカを見た。
不愛想だ。けれど少年らしい、意地っ張りな表情をしていた。
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