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外の世界1
涼が帰ってから一時間程で竜蛇が戻ってきた。
「ただいま。犬塚」
竜蛇は微笑を浮かべて犬塚に口付ける。今まで通りだ。違うのは外された足枷と犬塚が竜蛇の服を着ている事だ。
いつものように夕食を食べて風呂に入る。
竜蛇の雰囲気から察するに、今日はセックスはしないようだ。
一昨夜の竜蛇との激しいセックスで、まだ体に倦怠感が残っていたので、ゆっくり眠れる事は有り難いが ……犬塚はどこか物足りなさを感じていた。
自分は苦痛を伴うセックスが好きだ。
犬塚はその事実をようやく認めた。
竜蛇によって思い知らされたのだ。
逃げるのをやめた。
涼に言われた言葉だ。物理的な事ではなく、精神的な意味でだろう。
犬塚は自分自身の歪んだ欲望に向き合う。過去や現状、竜蛇とも。
「考え事か?」
「別に」
広いバスタブの中、背後の竜蛇にもたれて犬塚は湯に浸かっていた。竜蛇の手が犬塚の肩に湯をかけるようにして撫でた。
「涼の兄の話を聞いた」
「そうか」
「知っていたのか?」
「ああ」
「涼とあんたは少し似てるって。涼が言っていた」
竜蛇が小さく笑った。
「俺と涼も似ていると言っていた。歪んでいるが、強いから狂えない」
「……なるほどね」
今夜の犬塚は饒舌だった。
竜蛇は静かに犬塚の声を聞いている。
思えばこうして誰かに話をする事自体、犬塚にとっては珍しかった。
ブランカは必要最低限の事しか話さないし、依頼人とも仕事の話しかしてこなかった。
「俺は優しくされても満たされないんだと言われた」
「俺はお前に優しいだろう?」
「どこが……あんたはサディストの変態だ」
「お前はマゾの可愛い雌犬だ」
「うるさい」
こうしてじゃれ合うように軽口を叩く事や自分の気持ちを話す事も、竜蛇が初めてだ。
「……可哀想にって思われても不満なだけだろうって。そもそも、そんなふうに思われた事がないから分からない」
「哀れみはエゴと紙一重だからな。一段上の立ち位置から見下ろせるから『可哀想に』と言えるんだ。同じ立ち位置同士なら同類相憐れむ、だな」
犬塚は竜蛇の声を聞いていた。どうやら自分は竜蛇の話を聞くのが好きなようだと犬塚は思った。
「それを利用して利益を得る者もいる。弱い立ち場を利用して、強者を食い物にするんだ。プライドの高い者はそんな真似を許せない。哀れまれて利益を得るなどもってのほかだろう。自力で這い上がる方を選ぶんだ。お前や涼のように」
「……」
「お前は誇り高い男だよ」
竜蛇の言葉に犬塚は眉根を寄せた。そうは思えない。自分の人生は惨めなものだ。今だってヤクザの親玉に囲われているようなものなのだから。
……この関係は一体なんなんだろう。
今、犬塚はこの関係を受け入れている。だが自分は女ではない。何もせずセックスの相手だけをする愛人のようには生きられない。
考え出すと犬塚の心に不安が宿った。
「お前のそんなところがたまらないんだよ」
「何がだ?」
「俺は金もあるし、見ての通り色男だ。そしてお前になら破滅させられても構わないくらいに惚れている。俺に甘えてみせるか?俺をたらしこんで利用すれば、何でも言う事を聞くぞ」
「気色悪い事を言うな」
竜蛇は声を出して笑った。
「それがお前だ。俺に監禁されて調教されて、自分の性癖も受け入れている。傍から見れば、お前はSM趣味の蛇堂組の組長の愛人だ。だが、お前は俺と対等に立つ。どんなに泣かされても、犯されても、まっすぐに俺を睨み返す」
「……」
「それがたまらないんだ。お前に睨まれると、泣かせたくてたまらなくなる。底なし沼に沈んでいくように、お前はクセになる男だ」
「じゃあ、俺があんたに媚を売る素直な愛人になったら、あんたは俺に飽きるのか?」
犬塚が背後の竜蛇を挑発するように見た。竜蛇の琥珀の瞳に欲望が宿った。
「……どうかな? そんな目で俺を見るようでは従順な愛人など、お前には無理だ」
「そんな目って……」
「俺を煽る。お前は従順になどならなくても俺を支配できる。ほら、今だって……」
竜蛇が腰を揺らし、ゆるく勃起したペニスを犬塚の腰に擦り付けた。
「やめろ」
「お前の言う愛人のように、俺を誘惑してみるか?」
「離せ」
「お前が誘ったくせに。なんだ? セックスが怖いのか? 今夜は臆病な子犬になったのか?」
「誰が!」
竜蛇の言い草にカチンときた犬塚が体の向きを変え、竜蛇に覆い被さるようにバスタブの縁に手を付いた。
「キスを……幸人」
「……」
竜蛇の言葉に上手くのせられたようで悔しいが、この男から逃げるのは癪だ。
犬塚は竜蛇を睨んだまま、弧を描く唇に己の唇を重ねた。
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