134 / 151
誘惑1
その夜、娼館では客が帰ったあとの香澄の世話をし終えた雀野は事務所に戻った。
「お疲れ様です。雀野さん」
「お疲れ様です」
佐和は立ち上がり、雀野にコーヒーでもどうかと聞いた。
「貰います」
雀野はソファに座って、右手を少し撫でた。痛みがある訳ではないが、無意識に傷痕のある部分に触れてしまうのは癖だった。
「香澄さん、どうでした?」
「だいぶ落ち着いていると思います」
「そうですか。良かった」
佐和は雀野に熱いコーヒーを入れたカップを渡し、自分もソファに座ってコーヒーを飲んだ。
「少し気になる事があるんですけど………」
「なんです?」
立場的には佐和が上だが、雀野は年上でベテランの組員だ。佐和はいつも敬語で話していた。
雀野の方は怪我をしてから自分の事をポンコツだと思っているので、誰に対しても礼儀正しく接していた。
だが目には力があり、迫力のある風貌をしているので、立っているだけでも若手や半グレどもをビビらせる雰囲気を持っていた。
「最近、佑月さんと距離が近くないですか?」
「ああ」
佑月 とは、この娼館のナンバー3だ。まだ20歳の華奢で少女のように可愛いらしい顔立ちの男娼だった。
そもそも香澄は男娼の誰とも関わらず、世間話などもしていない。他の男娼達もナンバー1であり、竜蛇が目をかけている香澄の事を嫌っていた。
だが、ここ数日、香澄が佑月と一緒にいるのを見かけるようになった。
「涼さんの身がわりですよ」
「涼さんの?」
「香澄さんにとって、私も貴方も『男』だ。涼さんのような『女友達』が欲しいようです」
「女友達か………なるほどねぇ」
確かに男娼同士は女同士みたいなもんだ。
立ちんぼの男娼の中には、同じ男娼同士でルームシェアをして行動を共にする者もいた。
路上の男娼はタチの悪い客に当たる事もある。互いを慰め合い、守る為でもあった。
「でも、おかしな事にならないように気をつけて見てた方がいいですね」
「気にしすぎですよ」
佐和の言葉に雀野は苦笑して、コーヒーを啜った。
一方、香澄の部屋には佑月が訪ねて来ていた。
柔らかな栗色の髪に、アーモンドのような形の目。大きくて愛らしい瞳はハシバミ色をしていた。幼さの残る顔立ちは少女のように美しかった。
「香澄。大丈夫だった?」
「うん。今日のお客はサディストじゃないから」
香澄は微笑んで佑月を手招いた。互いに抱き合うようにして、ベッドに横たわる。
数日前まで佑月は香澄を嫌っていたが、今では離れがたい相手になっていた。
ともだちにシェアしよう!