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Ⅷ:1
「……和穂じゃない」
その言葉は、“言った”というよりも“零れ落ちた”に近かった。それ程に小さい音だった。しかしそれは確かに上代の耳に届いたようで、狂気に塗れた無表情に近い彼の顔を驚きの色に塗り替える。
そんな見開かれた上代の瞳の奥に、紫穂は何かを見つけた気がした。
「俺は、和穂じゃない」
それは、紫穂の世界を狂わせた元凶なのかもしれなかった。
◇
容姿・性格・成績
昔から俺は何かにつけて兄弟たちと比べられてきたが、双子である和穂と比べられることは当たり前過ぎて、既に慣れ切ったものだった。そう、慣れてた。でもそれが辛くない訳じゃない。
『残念な方』なんて呼び方が定着してしまう頃には、深くて治らない、醜い傷が心にビッシリとついていた。
「なに言ってんの、次男くん…」
俺の手首を掴む力が緩む。
上代のあからさまな動揺が伝わり、俺の口から思わず乾いた笑い声が漏れる。
「やっぱり、無駄な抵抗だったんだな」
「なに…」
カラダを差し出してまで逃げたかった兄弟の存在。
その逃げる先に上代を選んだのは、彼が入学当初から兄弟に興味を持った素振りを見せなかったからだ。
今でこそだいぶ減ったが、入学当初は諒や和穂に近づきたいがために俺に媚を売ったり近付いて来る奴が沢山いた。そんな中、上代も随分と遊び人ではあったものの、俺たち兄弟に近づく素振りも、興味を持った様な素振りも一切見せたことが無かった。
それは俺にとって、奇跡にも近い出来事だったのだ。
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