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災難
◇
残暑が続く八月上旬。
金と欲望が渦巻く夜の歓楽街には、競うように軒を連ねるホストグラブやキャバクラが数多くある。
その内の一店舗であるホストクラブ【ciel】は、テレビでも特集されるほどに有名な店である。そこに岩城 健二 はホストとして勤めている。
田舎者で貧乏だった岩城は、手っ取り早く稼げるのはホストだと、安易な考えで二十歳で上京したが、そう甘くはないのがホスト業界。
勤めて半年以上経つが、容姿はそこそこ、トークもそこそこで、なかなか指名客も増えず平行線のまま。 だったのだが、最近になって岩城の熱烈ファンだという指名客が現れたのだ。
「ケン、指名入ってるぞ。いつもの子」
「はい!」
ヘルプで入っていた席から岩城は入り口を見る。控え目な女性が岩城と目が合うと嬉しそうに微笑んできた。
「今日も来てくれたんだね! ありがとう耀子 ちゃん!」
「もちろんよ。毎日でも会いに来たいくらい」
「アハハ。嬉しいこと言ってくれるよね、耀子ちゃんは」
二人ボックス席に座ると、耀子が窺うように岩城を見つめてくる。
「どうかした?」
ニッコリと岩城が微笑んでやると、耀子は頬を少し火照らせる。
「う、うん……。ケンちゃん、その、今日もボトル入れていいかな?」
「え? も、もちろんだよ! ありがとう。でも大丈夫?」
「全然! ケンちゃんのためなら」
「そか……。ありがとうね」
ここ一週間で耀子は高級ボトルを二本開けている。このまま太客になってくれればという期待もあるが、素直に心から喜べない事情が岩城にはあった。
それは一週間前。
中古で買ったばかりの軽自動車でドライブ中、助手席に置いてる鞄の中から、スマホの着信音が聞こえてきたため、店からかと慌てて手探りで鞄の中を探っていた。だが、焦りすぎて足元へとスマホを落としてしまったのだ。
そのせいで更に焦った岩城は、スマホを拾おうと少し目を離した瞬間。前方の車へとぶち当たってしまった。
幸いにも道が混んでおりスピードも出ていなかったため、相手側はケガはなかったが、リアバンパーが少し凹んでしまった。しかも相手は超高級外車。
一気に青ざめる岩城が慌てて車を降りると、同時に運転席からこれまた神経質そうな無表情の眼鏡を掛けた男が降りてきた。
『も、申し訳ございません! その、お怪我はなかったですか?』
頭を下げてからそう訊ねるが、眼鏡男は返事をせず、チラリと自身の車の後部座席へと視線を遣っている。
そのタイミングで、後部座席の真っ黒なスモークガラスの窓が降りていく。
そこに乗っていたのは、いかにもどこぞの若社長。あるいは、その筋の者。
醸し出すオーラが一般人のそれとは、甚 だ違っていた。
岩城は最悪なこの状況にショックを隠せず、カラカラになった喉に唾を飲み込んだ。
『幸いにも怪我はされてません。ですが、車に傷が付きましたね……』
後ろに回り込んで傷を確認した眼鏡男は、岩城に冷たい視線を寄越してきた。
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